暮らし

2025.12.28 10:15

三浦瑠麗「いちばん楽しいのは、女同士で新しい料理のはなし」手料理がリハビリになる理由

撮影=上野裕二

くらしに正解はない

過去のくらしを思い出して、ふっと胸を衝かれるように感じる瞬間がある。門司に祖母が日常そのままの気配を残していった台所をみたときなど。台所の窓の棚にいつもは逆さに置かれているアルミのバットに紙を敷いて揚げたてのフライを載せたっけ。大勢が帰省中の休みには調理道具を並べる置き場所がないから、ガスコンロの一口の上にバットを乗せて、そのまま揚げ鍋から菜箸で移していったのだった。

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古い家だから電気コンセントの差込口が足りなくて、天井にある追加の差込口にトースターのコードを差し込んでいるのをうまくよけながら、布巾で洗い物を拭いては戸棚に仕舞いに行った。昆布の入ったカンカンとタッパー。こっちはいい昆布、こっちは日常用と分けている。

先日、墓参りに帰省しがてら、妹のために遅ればせながら形見分けの食器を選んだ。ころんとした紫色の牡丹の絵付けの醤油差し、青い絵付けのごはん茶碗や中サイズの椀、先付用の器。どれも日常遣いの懐かしいものだ。わたしは正月用に朱がさびた盃を何枚か持ち帰った。店で買ってもほんとうに自分のものにするのには時間がかかるが、家族のところからもってきたものは最初からわたしになじんでいる。

くらしに正解はない。家族の数だけくらしがあって、それがまたぜんぜん違う形で受け継がれていったりもする。でも、ひょっとした手つきに家族の伝統が顕れる。

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友人とのあいだでもそうだ。いちばん楽しいのは、女同士で新しい料理のはなしや、さいきん買った苗のことなどについて話しているときだった。──あれはどうも水を遣りすぎてダメにしちゃったのよ。

くらしはすべてを巻き取ってくれる。仮に深刻な話題が、古く固くなったあんこ餅のいちばんよい食べ方の話題に着地してしまっても、くらしがある限りは大丈夫なのだということがわかる。

くらしは伸び縮みする。核家族の時代においてはどうしてもそうなる。若くエネルギッシュなころ、子育て期にはくらしが拡大する。物も増えていくしイベントも大掛かりになる。老いるとともに、広がったくらしはよりちいさくなる。もう新しいものはほとんど買わなくなるし、日常の動作の範囲もちいさくなる。

人間は家族を失ったり、子どもが巣立ったり、居所を変えてもそれなりにまた一からくらしをあたらしく定義していくものだと思う。変わらないのは、いくつになっても朝起きてまた繰り返し同じことをしようとすることだろう。そして、もっとも力づよい生きる意味がそこにある。

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文=三浦瑠麗

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