暮らし

2025.12.28 10:15

三浦瑠麗「いちばん楽しいのは、女同士で新しい料理のはなし」手料理がリハビリになる理由

撮影=上野裕二

機能性と美意識と段取り

遠近双方を行き来するくらしの利点とは何だろうか。園芸にたとえてみよう。ひとつひとつの球根を植え、あるいは雑草を抜いているときには確かにみえる作業も、立ち上がって全体像を見ればとたんに自分のやっている仕事の途方もなさを知る。人力ではどうにもならない自然。相手が坪庭ではなく山ならばなおさらだ。反対に、風景全体を視野に入れているときには、ここにあの花、あそこにこの葉っぱという細かな情報を全部が全部把握しているわけでもないし、情報を羅列しているわけでもない。だいたいこんな感じ、という大掴みの印象が「庭」を形づくっているのである。その両方が園芸には必要である。

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山麓で自然と向かい合って暮らすことは、ちいさな作業の達成感と自分にはどうにもならない大きくて雄大な眺めを二つとも手に入れられるということだ。

日々やらねばならないたしかな手仕事や段取りがある限り、それが全体として暦と周囲の環境の中に納まっている限り、くらしには思い迷うことはない。薪は薪棚へ、粗朶はその脇へ、倒木は切る。家の中は掃除をし、ごはんが終われば湯を沸かす。麻の布巾は食器拭きから食卓拭きから台拭きへ、熱湯をかけて消毒し、洗って干してはまた食器拭きに。珈琲の殻は臭い取りに、広告紙は折り紙にして剥いたみかんの皮入れに。そうやって確立した人間を支える機能性と美意識が、くらしとして受け継がれていく。

時折思う。上の世代から受け継いだものは、知識というよりもおかれた環境であり、くらしの段取りや作業のようなものだったのかもしれない。休みのあいだは朝ごはんのあとに読書をする、という習慣。晩に家族が風呂を浴びている合間に、煮干しの頭とワタをとって水につけておく習慣。魔法のようなレシピではなくて、お醤油と料理酒の加減はこのくらい、という程度の感覚。あとは祖母が使っていたかめびし醤油など銘柄へのこだわりとか。

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あああああ
撮影=上野裕二
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文=三浦瑠麗

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