従業員が内部コミュニケーションと外部コミュニケーションをどう解釈するかにも変化が起きている。人は両者を瞬時に、時には数分以内に比較する。外部への声明が内部向けの声明より明確で具体的、あるいは率直である場合、信頼は急速に失われる。従業員は内部向けのメッセージが自分たちのために軟化させられたと推測する。そして、どんなに微妙なトーンの違いもストーリーの一部となる。
高尚な表現よりも明快さが重要だ。従業員は実際に何が起きたか、何が変わり、いつ変わるのか、どれだけ早く変わるのかを理解したい。「価値の再確認」や「複雑な状況への対応」といった過度に抽象的な表現は空虚に響く。不完全であっても実務的な詳細は腑に落ちる。それは幹部が世論だけでなく、どう作用するかを理解していることを伝える。
内部・外部コミュニケーションの役割の変化
内部コミュニケーションのチームは、メッセージを出す役割から意味づけする役割を担う人になりつつある。メッセージを洗練するよりも、なぜその決定に至ったのか、その選択が事業の次の歩みにどう影響するのかを従業員が理解できるよう文脈を案内するのが任務だ。
これは、知らないふりをするのではなく従業員が既に知っていることを認め、そして従業員が実際に読んだり視聴したりする形式でコミュニケーションを構築することを意味する。即時性を重視した簡潔なアップデートや状況に応じた詳細な説明、新たな情報が出てきた時のリアルタイムの調整などだ。
外部に広報するチームも同様の変化に直面している。あらゆる公式声明はまず内部に案内される。従業員はそれを単なる対外的な姿勢としてではなく、組織が外部に対してと同様に内部へも誠実であろうとしていることの証と受け取る。これにより新たな規律が生まれる。外部へのメッセージは内部の信頼性を強化すべきであり、対立するものであってはならない。トーンやタイミング、内容の全てが無視できない影響を内部に及ぼす。
社内文化の在り方
内部コミュニケーション優位の崩壊は究極的には文化の一貫性を試すものだ。管理された言葉遣いや遅い事実認識、過度に広範な確信に依存する組織は信頼性を維持するのに苦労する。従業員は多くのことを見抜き、瞬時に検証する。
物事をうまく運ぶ組織は完璧にコミュニケーションをとっているわけではない。可視化を高めた構造から発信している。この可視性は、幹部が不都合に感じるプロセスの一部を排除するのを止めた時に初めて機能する。従業員は綿密に考えられた決定を期待していない。決定がどのように形成されたかという点で誠実さを求めている。たとえ論理にむらがあったり、組織が言及を避けたいという制約があるものであってもだ。
物事をうまく運ぶ組織は意思決定の過程を示す。矛盾を認めつつも防御的にならない。例外を少なくして基準を適用する。これらはコミュニケーション戦術ではない。文化的な実践だ。
そして変化はそれだけではない。内部コミュニケーションを変えた同じ力学が、今や第二のより深い脆弱性を露呈させている。組織の評判は従業員が組織の発言と行動を即座に比較できない世界向けのものだったが、もはやそうした世界は存在しない。


