「ゾンビアリ菌」は、なぜデスグリップを強いるのか
デスグリップは、単なる感染の進行による異常行動ではない。オフィオコルディセプスは、自身が成長し胞子をばらまくのに適した場所に宿主を誘導し、ちょうどいい葉や小枝にアリの体を無理やり固定させる。
2023年に学術誌『Scientific Reports』に掲載された論文は、感染したアリの行動を分析し、宿主が停止する場所の高さや向きに、驚くべき一貫性があることを示した。研究チームは、この一貫性を根拠に、オフィオコルディセプスがアリの筋肉だけでなく、アリに内在する「GPS」をも操作している可能性があると論じた。
デスグリップの場所が重要である理由は、以下の通りだ。
・高さが一定であることで、菌の生存に必要な湿度が保たれ、乾燥から守られる
・アリの位置は、菌が子実体(しじつたい:胞子形成のために作る構造)を十分に発達させられる空間を確保するよう固定される
・アリの位置は、すぐ下を通過するほかのアリたちの頭上から、胞子を落下させるのに適している
恐ろしいことに、宿主のアリは、デスグリップの姿勢になると、まもなく死に至る。アリの死後、菌は、残された組織を存分に食べ尽くす。そのあと、アリの後頭部から柄のような構造物(子実体)を突出させる。『ラスト・オブ・アス』では、この構造物が極めて忠実に再現されていた。
やがて、柄から放出された胞子が林床にばらまかれ、ゾンビ化のサイクルが最初から繰り返される。
アリを「ゾンビ化」させる能力が進化した理由
オフィオコルディセプスによるマインドコントロールに、何ひとつ「意図的」な要素はない。この意味では、ポップカルチャー作品の中で描かれる姿とは違って、「邪悪」で「おぞましい」ものではない。オフィオコルディセプスには、脊椎動物のような「脳」はないため、ターゲットに対して、悪意をもって害をなすことはあり得ないのだ。
結局のところ、この奇妙なプロセスは、数百万年の間に積み重ねられた自然淘汰の結果でしかない。宿主のアリを、胞子の拡散に最も適した位置に誘導した株は多くの子孫を残し、そうでない株は死に絶えた。
オフィオコルディセプスは、こうした絶え間ない圧力を長い歳月にわたって受け続けた結果、宿主の行動を驚くほど正確に操作する能力を獲得した。高度に特殊化した化学物質のカクテルを駆使して、アリの行動を変化させる一方で、特別な酵素で重要組織を維持し、理想的な位置に宿主が到達するぎりぎりまで生かしておくようになったのだ。
強調しておくが、オフィオコルディセプスは形態的にも生理的にも、ヒトへの感染能力をまったく備えていない。ヒトの体温、免疫系、細胞構造は、この菌とは根本的に相容れない。ホラー作品が何と言おうと、私たちはオフィオコルディセプスにとって理想的な宿主とはほど遠い。
オフィオコルディセプスが認識し、感染するのは、特定の種の宿主だけだ。この菌は、ヒトの生物学的特徴にまったく対応できない。胞子は、ヒトの体温にさらされただけで破壊される。万一感染したとしても、ヒトの免疫系が即座に猛攻撃を仕掛けるだろう。
このように、オフィオコルディセプスは、ヒトの神経や筋肉組織を操作する能力を何ひとつ備えていない。つまり、マインドコントロール能力をもつ菌類の感染によって「ゾンビ人間」が誕生するというアイデアは、100%フィクションなのだ。


