多くの人は、自分の「悪い習慣」が規律の欠如や社会的成熟度の低さ、感情的な弱さといった好ましくない側面をさらけ出していると考えがちだ。一般的には、それらは「最良の自分」になろうと十分に努力していない証拠だと見なされることが多い。
しかし、欠点だと決めつけられている行動の多くは、適度に行う場合、他者とつながり、感情を調整し、問題を解決するのに役立つ適応的な戦略であることが少なくない。文化的偏見と科学的現実の乖離は、我々が考える以上に大きいことが多い。
本稿では、そのような行動を3つ紹介しよう。いずれも一般的には「悪い」と言われているものばかりだが、研究によれば、適切な状況下では、それらがより健全な人間関係、より鋭い思考、そしてより強固な感情的ウェルビーイングを支える働きを持つことが示唆されている。
もちろん、これはあらゆる「わがまま」を無条件に正当化するという意味ではない。それでも、人間の行動には私たちが見落としがちな知性の層が含まれている可能性を考えてみる価値はある。ときに、最も厳しく裁かれがちな習慣こそが、静かに日々を生き抜く手助けをしている場合があるのだ。
良いゴシップ
ゴシップという言葉は、ささやかれる裏切りや不要なドラマといったイメージを即座に呼び起こす。しかし心理学では、この現象をより中立的に定義している。ゴシップとは、その場にいない誰かについての評価的な情報をやり取りする行為にすぎない。そして、ゴシップに付随する道徳的な重みを取り除くと、驚くほど適応的な研究知見が浮かび上がってくる。
例えば、Current Biologyに掲載された2021年の研究は、ゴシップが「代理学習」において重要な役割を果たしていることを示唆している。誰が協力的だったか、誰が不正をしたか、誰が社会的状況をうまく処理したかといった他者の行動について人々が語るとき、それは単なる暇つぶしではないのだ。
本人たちが意識しているかどうかにかかわらず、彼らは社会的規範を伝達し、互いに人間関係の世界を理解する助けをしている。研究者たちはまた、ゴシップが「何が許容されるのか」「誰が信頼できるのか」「複雑な集団力学をどのように乗り切るか」といった理解を人々の間で調整することを可能にすると指摘している。言い換えれば、ゴシップはほとんど社会的なナビゲーションシステムのように機能しながら、気軽な会話に姿を変えているのである。
この研究によれば、ゴシップは集団の結束を強める。個人が社会的出来事についての解釈を共有する行為は、たとえそれが些細な出来事であっても、「あなたと私は似た見方で世界を捉えている」というメッセージを発していることになる。その共有された理解は、人々の認識をそろえ、コミュニティの中にしっかりと根を下ろしているという感覚を生み出す結びつきの仕組みとなる。複数の研究者は、このような認識の一致が、不確実で曖昧に感じられがちな状況に明確さを与えることで、不安を軽減すると論じている。



