「事業は人である」
島津製作所は150年前、京都の仏具職人だった初代・島津源蔵が、日本が科学技術立国へと発展していく時代の流れを機敏に感じとり、理化学機器メーカーを起こしたのが始まりだ。以来、島津製作所は日本の科学技術の発展とともに歩み、近代化を支えてきた。「『科学技術で社会に貢献する』という島津の社是は、150年たった今も全くぶれていません」。新たな時代の転換期に13代目となる社長を任された山本はそう断言する。
山本には、この社是を軸として、自らが難局を乗り越えてたどり着いた信念がある。それは「事業は人である」というものだ。実は、2002年、業績不振に陥っていた島津製作所は「選択と集中」の方針のもと、事業の整理を進めたことがある。当時、山本が在籍していた試験機の部門もバブル崩壊後から赤字が続き、縮小・撤退の対象となった。山本はそのプロジェクトの責任者を任されたのだ。しかし、「うちの部門が製造するのは、世の中のメーカーが何かを設計しようと思ったときにベースとなる数字を出す製品群だ。しかも国内シェアは6~7割。うちがなくなったら、関係する産業が大変なことになる。簡単にやめられへん」。
人員削減は免れなかったため、自分の仕事に愛着をもつ職人気質の部下たちを説得してほかの部門に移ってもらった。一方で存続に望みをつなぐため、協力会社にコストダウンをお願いし、顧客には新しい機能をつけた高付加価値製品を推奨するなど、収益改善に奔走した。
その結果、1年で黒字に転換させ、その後も黒字幅を拡大し、部門の継続が決まった。「社員、協力会社、お客さん…。周りにいる人たちの知恵や力をお借りして、初めて事業は回るんだということを痛感しました。うまくいかなければ辞めるつもりでしたから、私が今ここにいるのもその人たちのおかげです。結局、事業とは『人』でしかないのです」
山本は今、島津製作所の次の50年を担っていく若手社員とのディスカッションを大切にしている。そのなかで、必ず伝えている言葉がある。
「『すべては夢から始まるんだ』ということを、特に若手社員に知ってほしいのです。スマートフォンも、新幹線も、ロケットも、最初に夢を描いた誰かがいた。その夢に共感した人たちが一緒になって努力して実現してきたものなのです。だから、島津の社員には一人ひとりがきちんと夢をもってほしい。それが将来の島津製作所をつくっていくはずです」
かく言う山本にも、夢がある。学生時代に研究していた核融合発電の実現だ。「私が生きている間に実現するかどうかわかりませんが、島津の技術で貢献できればうれしいですね」
山本靖則◎1983年に大阪大学大学院工学研究科電磁エネルギー工学専攻を修了後、島津製作所に入社。分析計測事業部試験機ビジネスユニット統括マネージャーなどを経て、2020年に取締役就任。21年、専務執行役員CFO。2022年4月から現職。
島津製作所◎1875年創業の大手精密機器メーカー。主力の分析・計測機器をはじめ、医療機器や産業用機器を手がける。液体試料の成分を調べる液体クロマトグラフは世界トップクラスのシェアを誇る。


