「素人だったから、できた」
なぜヘラルボニーは成功したのか。崇弥の答えは意外なものだった。
「僕たちはアートも福祉も学んでこなかった。だから業界のタブーを知らなかった。学べば学ぶほどできなくなることって、たくさんあるんです」
福祉の世界では、障害のある人の作品を売ること、使うことへの抵抗感が根強くあった。支援の対象であって、ビジネスの対象ではない、そんな空気があった。だが松田兄弟は、その空気を読まなかった。読めなかった、と言うべきかもしれない。
「業界に属しすぎないこと。知らないふりをすること。インディペンデントでいること。それを意識してきました」と文登は続ける。
転機は創業半年で訪れた。パナソニックが運営するアクセラレーションプログラム「100BANCH」に採択され、そこから同社のオフィス改装プロジェクトに作品が起用された。小さな金額だったが、大企業との最初の取引が、次を呼んだ。
「一度このような機会をいただけると、それをきっかけにどんどん進んでいくことを実感できた」と崇弥は振り返る。翌2019年にはForbes JAPANの「30 UNDER 30」に選出。まだ何も成し遂げていない時期だったが、その"お墨付き"が、大企業との打ち合わせで相手にされるきっかけになった。
「魔法をかけている会社ではない」
アートの世界では「違い」が価値になる。誰かと同じものを描いても意味がない。だとすれば、障害のある作家は最初から有利な立場にいるのではないか、崇弥はそう考える。ミッションに掲げる「異彩を、 放て。」はそこからきている。
「違いをつくろうとする人より、もともと違う人の方が強い。彼らは『違いそのもの』を発露させているんです。だから僕たちは0から1を生み出しているわけじゃない。珍味のツバメの巣みたいに、気づかれていなかった美味しいものを『美味しいでしょ』と差し出しているだけ。魔法をかけている会社ではないです」
文登が補足する。「柳宗悦が民藝というジャンルを生み出せたのは、自ら全国を歩き、圧倒的な熱量で作品を収集したからです。僕たちも同じ。作家の作品に惚れ込んで、それを届けたいと思っているだけなんです」。だからこそ、彼らは「流行」ではなく「文化」を目指すと言う。
「フェアリスト(流行りもの)で終わりたくない。今は若くて、勢いがあって応援してもらえているところもあると思うのですが、どっしり構えたブランドに進化したい。100年後にも残っている会社でありたい」


