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2025.12.12 15:30

計画や予測を当てにしすぎない──未来の行動は“現場の自分”の判断に任せる

olm26250 / Getty Images

現実が仮説を崩す理由

理論上は、仮説のジレンマやトロッコ問題のような課題は、人間の思考を掘り下げる強力なツールのように見える。それらは決断を最も純粋に道徳性を問うものにする。あらゆる雑念を排除し、原理だけを考えさせる。だがおそらくこの整然さこそが、仮説を非常に誤解を招くものにしている。

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人間に対して、人間性をもって応じる

ボスティンは「人が仮説のジレンマに直面すると、より抽象的な思考方法に傾きやすいようだ」と説明する。つまり、仮説のジレンマについて論じようとする時、人は通常、正体不明の者について論じているのだ。頭の中ではその見知らぬ人には過去も、個性も、未来もない。

だが現実では、人間は仮定が完全になくすあらゆる要素を必然的に考慮する。性格や声の調子、感じられる脆弱性、親しみやすさ、以前の出来事、感情的な不快感など。つまり私たちは結果を冷徹にプログラムに従って計算することはほぼ不可能であり、人間に対して人間性をもって応じるという性質を生まれながらに持っている。

さらに示唆的だった事実

さらに示唆的だったのは、多くの参加者が実験室に入る時点で自分が取る行動について確信していると主張しながら、後に自らを驚かせる結果となったという事実だ。最終局面まで躊躇した参加者もいれば、実際に人を目の前にした瞬間に考えを翻した参加者もいた。

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整えられ、落ち着いた実験室という環境下で人が自らの行動を確実に予測できないというのは不快な疑問を投げかける。自信に満ちた道徳の予測は、いったいどれほど正確なのだろうか。ボスティンはこの問いに、より優れた疑問で答えている。「仮説のジレンマには結果が伴わない。であれば、下す決断が影響を持たない場合に、なぜ『困難な』選択をする必要があるのだろうか」。

ジレンマに直面した時、選択や決断はすでに起こった出来事の影響を受ける

この意味で、ボスティンらの研究が明らかにしたおそらく最も重要な事実は、道徳的な決断が孤立した瞬間的な判断ではないということだ。従来のトロッコ問題的な思考は、人間の意思決定プロセスを問題自体から切り離して扱う傾向がある。つまり「この瞬間だけ」「この結果だけ」を想定する。しかし現実には、研究の参加者がジレンマに再び直面した時、選択は抽象的なルールよりも、すでに起こった出来事の影響を受けることが多かった。

この観点からすると、道徳は連続的なものだ。つまり、記憶を持つ。私たちは常に、すでに行ったことと次に直面すると予想されることをつなげて考える。仮説はその瞬間だけをとらえることができるかもしれないが、現実はそうはいかない。これまで経験したすべてのことやこれから起こるであろうことからその瞬間の決断を切り離すことはできない。

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翻訳=溝口慈子

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