トロッコ問題が思考実験の域を脱したとき
トロッコ問題は数十年にわたって抽象的なものとして扱われてきた。教室でも教科書でも、人々は同じ究極の問いの一種を突きつけられる。それは「多数を救うために1人を犠牲にするのか」というものだ。問題の細部は変わることが多いが、常に仮説であるというのが大前提だ。実際に誰かが傷つくことはない。
だからこそ、心理学者で哲学者でもあるドリース・H・ボスティン博士が主導し、専門誌『Journal of Personality and Social Psychology』に掲載された新たな研究は極めて異例だ。ボスティンの研究チームは「もし自分がその状況に置かれたらどうするか」と尋ねる従来の方法に固執せず、自分の決断が現実の結果をもたらす状況下で実際にどうするかを観察した。
自分の選択に応じて、ボランティアが痛みを伴う電気ショックを受ける実験
実験では参加者を実験室に案内し、自身の選択に応じてボランティアが痛みを伴うが医学的には安全な電気ショックを受けると告げた。参加者に課せられたタスクは理論上は比較的単純だったが、結果の面では複雑だった。2人に電気ショックを与えるのを認めるか、あるいは自ら選択して1人だけに電気ショックを与えるか、どちらかを選ぶというものだった。
参加者には情報をすべて開示し、いつでも辞退する権利があると伝えられ、実験後は感想を注意深く聞き取られた。しかし実際には、2人に電気ショックを与えるか、それとも1人だけに与えるかを選んだ結果は、参加者が持続的な罪悪感に苛まれるのを防ぐため、無作為に決定された。とはいえ、参加者が選択を行い、その選択を合理化している間、全員が自分の決断が本当に重要だと心から信じていた。
仮説ではなく、実際の状況で実験した理由
仮説ではなく実際の状況で実験をすることにした理由について、ボスティンは筆者とのインタビューで「理由は単純明快だ。人に自分がどういった行動をとるか抽象的に考えさせる研究は数多く存在する」と述べ、「その研究を信頼したいのなら、人が実際にどう行動するかも探る必要がある」と補足した。
現実の選択と仮定の選択は異なる
この研究の結果が印象的だった理由は2つある。まず1つ目は、参加者が仮定のジレンマに対して示した反応は、現実の選択を予測する上で中程度の精度しかなかった。つまり大半の人は、仮定のジレンマとは異なる行動を取った。2つ目に、より興味深い発見は、現実の選択と仮定の選択についての思考は異なっていたということだ。
一部の参加者は目の前にいるボランティアの振る舞いに基づいて決断した。他の参加者は最後の瞬間まで迷い、選択を迫られるまでどちらを選ぶべきか確信が持てなかった。そして同じジレンマに再度直面した時、参加者のほぼ3分の1が「1人に電気ショックを与える」から「2人を電気ショックにさらす」へ、あるいはその逆パターンで選択を変えた。驚くべきことに、これは必ずしも被害を最小限に抑えようとする試みではなく、むしろ被害を「公平に」配分しようとする試みだった。
ボスティンらの研究チームは実験を繰り返すたびに、現実の道徳的決断が、架空の線路やトロッコ、犠牲者という整然とした哲学的モデルが説明できる範囲をはるかに超えて複雑で関係性に依存し、状況によるものであることを証明した。

