11月は今年4度目の日本滞在でした。滞在最終日の晩、羽田空港からミラノに深夜便で戻る直前、都内の和食屋で友人2人と一緒に食事をとった際の会話が刺激的だったので、そこでの話題を今年最後の連載記事テーマにすることにします。
友人の1人は「北欧、暮らしの道具店」を運営するクラシコム社長の青木耕平さん、もう1人は島根県石見銀山に本社のあるアパレルや雑貨の製造販売を行う群言堂社長の松場忠さん。群言堂は、9月公開の記事「人はいま「修繕」になにを再発見するのか」で紹介した他郷阿部家の運営会社でもあります。
テーマはずばり、郊外とラグジュアリーです。青木さんが郊外、またはベッドタウンという存在の見直しの必要性を語り、松場さんとぼくの2人もそれに賛同。郊外がラグジュアリーと重ねて語られるための条件は何か、と議論しました。
「郊外」が取り残されている
一般に大都市は文化と経済的先端の観点で注目を浴び、自然の豊かな田園地帯はその対極におかれます。そして、両者ともラグジュアリー文脈に登場しやすいです。他方、郊外はベッドタウンや工業団地との役割を果たしながらも、文化的な議論の対象ではサブカルチャーに限られるとの見方が多かったでしょう。ラグジュアリーとつながるとは殆どの人が想像しない。
都市も田園地帯も、長い時間で浮き沈みはあります。また、都市郊外の発達は、産業革命による都市環境の悪化から逃避する人々、地方から働き手として都市にやってくる人によってもたらされてきました。よって、郊外は郊外で社会の多くの澱みが生じやすい。
実は、今から10年以上前、ファッション企業の創業者ブルネロ・クチネリさんに初めてお会いした際、インタビュー後の雑談で彼が提起したひとつのテーマが郊外の問題でした。現代において世界が抱える共通の問題は郊外に関わっており、それはベッドタウンという性格がもたらす文化的不毛に帰する、と語っていました。ぼく自身、郊外のもつ暗部がずっと気になっていましたが、クチネリさんの話でこの重要性により確信をもつようになりました。
イタリアの都市変遷を1950代に遡ると見えてくるのは、第二次世界大戦後の高度経済成長と、小作人の自立化促進が成功したとは言い難い農業政策による農村の荒廃と労働者の都市とその周辺への移動です。それにより都市内が住みづらいと感じるようになったお金のある都会人たちが郊外の新しい住宅地を目指すようになります。そして一部の農業用地は工業用地へと転換が図られていきます。
クチネリ家族は、まさしくこの典型を生きていました。貧しい農民一家は1960年代に農村を去り、父親は都市郊外のセメント工場の工員になり、家族は近代的住居で生活をはじめます。一見、機能的で楽になったようにみえながらも、父親は職場で同僚から人とも思われない扱いをうけ、息子は転校先で田舎者として馬鹿にされる屈辱を味わうことになった。クチネリさんが郊外に目を向けるのは、自らの嬉しくない体験と紐づいていたわけです。



