本稿は「トラストバンク地域創生ラボ」より、再編集しての転載である。
元NHKアナウンサーとして、長年にわたり全国にニュースを伝えてきた武田真一さん。生まれ育ちは熊本市だが、いま彼が「ふるさと」と呼ぶのは熊本・阿蘇の南端にある高森町だ。「第2の故郷」として語るこの町には、夏休みや正月に訪れた幼少期の原風景が残っている。なぜ、ご自身が育った熊本市ではなく高森なのか。その理由を探ると、一人の記憶を超えて、地域の歴史と未来を考える手がかりが見えてきた。

四ツ角と酒蔵を思い出す商店街
高森町を語る上で欠かせないのが、水だ。阿蘇外輪山に降った雨は地下を流れ、豊かな水脈をつくる。その象徴が「湧水トンネル公園」である。かつて国鉄高森線の延伸工事で掘られたトンネルから大量の水が湧き出し、計画は中止。現在は観光地として親しまれている。
熊本市の水道が全国でも珍しく100%地下水でまかなわれているのも、阿蘇の水脈があるからこそ。清酒づくりに不向きとされた九州で、熊本は独自に「熊本酵母」を生み出し、日本の吟醸酒文化の礎を築いた。
武田さんの父方の実家は、高森町の商店街の“四ツ角”すぐそばにあった。近くには「れいざん」で有名な山村酒造があり、白壁の蔵から漂うもろみの香りが「帰省の合図」だったという。周辺は商店街の中心地。時計店、オートバイ店、クリーニング店、駄菓子屋、パチンコ店が軒を連ね、街角には常に人の声があふれていた。熊本市郊外で暮らしていた少年にとって、そこは「都会の縮図」のように感じられた。
夏の風物詩は「風鎮祭」。阿蘇山麓の風を鎮める意味を持つ伝統行事で、出店が並ぶ賑やかな祭り。それに加え、青年団による「高森にわか」と呼ばれる寸劇が演じられる。高森弁があふれる即興劇は、子どもにとって夢舞台。三味線と太鼓のお囃子を奏でながら舞台の山車が町内をめぐり、辻々で青年らが演目を披露する。少年時代の武田さんは、その後をずっとついて回った。彼らの優しくひょうきんで、それでいて頼もしい姿をまぶしく感じていたからだ。地域の暮らしと文化が一体となった空間が、そこには確かに存在していた。
とりわけ鮮烈に覚えているのは、山村酒蔵から漂う甘い香りだったという。白壁の下に設けられた通風孔に顔を近づけると、発酵中の米から立ちのぼるふくよかな匂いが、幼い心を包み込んだ。子どもにはそれが何の匂いか理解できない。ただ「高森に帰ってきた」という実感だけが胸に広がる。

この甘い香りは、土地の空気や湿度と一体となって五感に刻まれた。武田さんにとって酒蔵は単なる工場ではなく、「町全体が息づく証」だった。嗅覚の記憶は時間を超えて残り、今でもその香りを感じると、少年の日の情景が鮮やかに蘇るのだという。



