商店街で学んだ他世代との交差
「高森の商店街は、子どもにとって社会を学ぶ場でした」
武田さんはこのように振り返る。往来する人々の話し声や、車・バイクの音、そして、パチンコ店のざわめきが交錯し、町全体がひとつの交響曲のように響いていたという。買い物の合間に交わされる立ち話は、人と人の暮らしを確かめ合う場でもあった。
生活者同士の距離は近い。裏口の扉をがらりと開けて、朝採れのとうきび(とうもろこし)のお裾分けなんかも。武田さんも自宅でふかしたソーダまんじゅうを親戚宅までお使いにいった。帰りにアイスキャンディーを買うようにと、お小遣いをもらったことも思い出だ。
郊外の生活では得られなかった人間関係の濃さが、「都会」のように感じさせた本当の理由だったのかもしれない。
商店街は、子どもと大人の境界を取り払う場所でもあった。青年団の高森にわかを見上げながら、いつか自分も舞台に立ちたいと夢を抱いた。学校とは違う「地域の教室」がそこにはあったのだ。

「駄菓子屋は、当時、少ないお小遣いをどう使うか、を一生懸命考える場でもありました。年長の親せき等に、どのお菓子や花火が良いかを教えてもらった記憶がありますね」
金銭感覚や礼儀、地域の祭りを支える意味を、子どもは自然と学んでいった。
武田さんにとって高森は、ただ遊ぶ場ではなく「人に育てられる町」であり、その経験が後に公共放送の現場で「人と人をつなぐ言葉」を選ぶ感覚につながっていった。
人口減も上色見熊野座神社という希望
かつて2〜3万人が暮らした高森町だが、いま人口は約6千人に減少。商店街は空き地が目立ち、生活の中心は郊外のバイパス沿いに移った。大型スーパーやドラッグストアが並び、町の中心部は静まり返っている。
しかし希望もある。郊外にある上色見熊野座神社は、幻想的な岩穴の風景から「パワースポット」と呼ばれ、外国人観光客を含め多くの人を集めている。武田さんは「寂しさと希望の両方を感じる」と語る。過疎化が進む一方で、新しい訪問者が町に足を運ぶ姿に未来の芽を見いだしている。

熊本市で育ち、高森町に「ふるさと」を見いだした武田真一さん。幼少期に刻まれた商店街の賑わいと酒蔵の香りは、いま静かな町の風景と対照をなす。それでも豊かな水脈や神社の来訪者が示すように、町は形を変えながら生き続けている。
「帰れば無限に眠れる」と、最後に教えてくれた。


