危機感が生まれにくい田舎

塩江は美しい里山が残る中山間地域でありながら、高松市の中心部まで車で約40分。おまけに島と山と海全てが近いという立地。車を小一時間走らせるだけで、美術館にも、高松空港にも、また瀬戸内海にも太平洋にもアクセスできる。当然、塩江に住みながら市内の会社に勤めに出ることも容易にできる。村山さんの言葉を借りれば「初心者向けの田舎」。けれど反面、こんなことも起きているという。
「30〜50代の子育て世代では、塩江を高松のベッドタウンと位置付けている方も多い。平日は高松で仕事し、週末は家にいるか町外へ遊びに行く。今の町の中心的存在である60代以上の世代との関わりがほとんどなく、よって町への関心も薄い。コミュニティが完全に分裂しているんです」
加えて、塩江の歴史も「町に危機感が生まれにくい」事態を生んでいるという。塩江は古くより、阿波(徳島)や土佐(高知)へ続く旅路の宿場町として栄えてきた歴史がある。
明治以降は冷泉が出る温泉地として、1930年代には豪華な旅館や劇場が立ち、観光鉄道が走り、少女歌劇団が活動するなど観光地として華やかな時代を迎えた。戦後、1960〜1978年のバブルの時代には、県内唯一の国民温泉保養地に認定されたたことで温泉の源泉が高額で取引され、リゾートホテルが乱立し、塩江温泉郷という名を全国に轟かせた。当時の人口は5000人を超えていたという。
「現在、町の決定権をもつ60〜80代の方々は、まさにその時代に観光ビジネスをバリバリ進め、町を拡大してきた人たちです。彼らに町おこしについて聞くと『当然観光だ』となる。30〜50代の方に聞いても『やっぱり観光じゃない?』となる。そして行政もなんとなくそれに引っ張られている。
このままきちんと議論がなされず政策が行われれば、いつかミスマッチが起きる。まずは、町が自立できる産業をみんなで考えて知るべきです。そのために『本当に観光ですか?町はそれを求めていますか?』としつこく問いつづけて、コミュニティの知的強度を高めるのが私の役目だと思っています」


