歴史的トラウマに根ざす犯罪
この問題はウクライナ国内で深い歴史的共鳴を呼ぶものでもある。米ミネソタ大学ホロコースト・ジェノサイド研究センターによると、1932〜33年にソ連が意図的に引き起こし、数百万人が死亡した大飢饉「ホロドモール」で、とくに弱い立場に置かれたのが子どもだった。家族が懸命に生かそうとしたにもかかわらず、歴史家らの推定で150万〜400万人の未成年者が命を落としたとされる。飢饉を生き延びた子どもの多くは孤児院に収容されたが、そこは事実上「死のキャンプ」と化し、相当な数が正式な犠牲者として認められなかった。
米ノバ・サウスイースタン大学のジョン・ブセテッカ助教授(歴史学)は筆者の取材に対し、ロシアが現在ウクライナに対して行っている攻撃を理解するうえで、ホロドモールはなお非常に重要なものだと説明した。彼によれば、現在の紛争は軍事行動だけでなく、対立する歴史ナラティブを通じても遂行されており、ロシア側のナラティブでは自国がウクライナ人に引き起こした惨禍を否定したり、矮小化したりしようとしている。
ウクライナのヘルソン国立大学のナタリヤ・クゾボバ歴史・考古学・教授法学部長も、こうした犯罪の世代を超えた性質は現在の戦争を理解するのに不可欠だと強調する。かつてソ連支配下でひとつの世代全体が絶やされたように、今日もロシアによって命を奪われたために、成人できなかったウクライナの子どもが何百人もいると筆者に話した。
クゾボバは、ソ連の政権がホロドモールで子どもを標的にしたことを詳しく説明した。「ごく幼い子どもでさえ『ソ連国家の敵』というレッテルを貼られ、家族とともに強制移送され、多くが途中で死亡するか、あるいは孤児になりました」と彼女は語った。10代の若者は穀物拠出ノルマを達成できなかったという理由で逮捕され、監獄や強制収容所で飢え死にすることもあった。親が拘束された子どもはしばしば路上に放置され、国の保護施設に入れられた子どももまた、食べ物がないために命を落とすことがよくあった。
「ホロドモールで最も多く犠牲になったのは、4歳未満の子どもだったと考えられています」とクゾボバは言う。「母親たちは授乳できなくなり、(乳幼児の)年齢に適した食べ物もまったく手に入りませんでした。子どもたちは、保護施設で、監獄で、路上で飢え死にしていったのです」


