テントウムシの成虫は愛らしい見た目をしている。しかし、テントウムシにとって人間の「愛らしい」などという感情は知ったことではない。別に人間のためにそのような見た目になったわけではないからだ。
にもかかわらず、人間はどうしても「愛らしい」と感じてしまう。それには理由があるのかもしれない。
「完全変態」という生きる術(すべ)
多くの昆虫がそうであるように、テントウムシも完全変態をする昆虫である。完全変態とは幼虫からサナギになり、まったく形態の異なる成虫へと変化するものを指す。例としてカブトムシ、チョウ、ハチなど、挙げればきりがない。
一見してサナギの状態は非常に無防備だ。それでも昆虫のうち約8割が完全変態を経る。サナギとは、いわば成虫への成長に集中する期間である。身動きや食事すら放棄して、ただ熱心に自己を変化させるのだ。そのために彼らは幼虫の時期にひたすら食事をしてエネルギーを溜め込む。
何故それほど時間を費やし、リスクを冒すかといえば、成虫になって繁殖するためだ。繁殖のメカニズムは食事や成長に比べて複雑で、それゆえに地道な準備期間が必要なのである。完全変態の昆虫は幼虫(食事)、サナギ(変化)、成虫(繁殖)という具合に、見た目によって役割が大きく異なっているというわけだ。
逆に、昆虫からしてみれば……いや、多くの動物からしてみれば、人間の成長過程の方がよほど無防備に映るだろう。私たちはこの世界に産み落とされておよそ1年間、自分の足で立つこともできない。
産科学のジレンマ
人間がこれほど未熟な状態で生まれる一因は、賢くなりすぎたことにあるという。自立に関する機能が備わるのを待っていると脳が巨大化して産道を通らなくなり、そもそも生まれることが叶わなくなってしまうというのである。これをObstetrical dilemma(産科学のジレンマ)と呼ぶようだ(参考:Scientificamerican.com)
これこそ、私たちが賢さと引き換えに背負ったリスクだ。要するに、私たちには、他の動物よりも注意深く赤ん坊を守らなければならない理由があるということなのだ。
テントウムシは聖母マリア?
話を戻そう。テントウムシは漢字で書けば「天道虫」であり、太陽に由来している。また、英語では「Ladybug」や「Ladybird」などと呼ばれる。ここで言う「Lady」とは単なる淑女ではなく聖母マリアを指すものであるという。いずれにしてもずいぶんと神々しい名称である。見た目が可愛らしいからこそ、このように名付けられたのだろう。
そんなテントウムシだが、幼虫時代はそれほど美しくない。いや、それどころか、かなりグロテスクだ。その形状は芋虫を少し平べったくしたようであり、あまつさえ背中には毒々しい色のイボがぶつぶつと無数に生えているのだ。
今、筆者はテントウムシたちの非難を一身に浴びながらこの記事を書いている。彼らは言う。「うちの子どもたちを一纏めにして侮辱するとはどういうことだ」と。「成虫になった我々のことは、見映えのする感じで撮影してSNSにアップロードするくせに」と。
何故私たちはテントウムシの幼虫をグロテスクだと思い、成虫を愛らしいと思うのだろう?
まず幼虫から片付けたい。「毒々しい」と先述した通り、幼虫の形状は(彼らが知らないあいだに)、私たちに警告を発しているのである。柔らかい見た目やイボや色は私たちが持つ本能的な危機感を喚起させる。それは、腐った食べ物や毒物に相対したときの、生命への危機感だ。幼虫の形は私たちに、間接的に腐敗や毒を連想させ「グロテスク」だと思わせる。その想像は、人類が今日まで生存するにあたって身につけた一種の能力だ。つまり「グロテスク」は「生命の危険」に起因する、後付けの評価なのである。



