――結果としてオックスフォード大学留学を経てNBAニューヨーク・ニックスへの入団を決めましたが、有望なバスケットボール選手の一人としてプリンストン大学を卒業する頃には、将来的に政治の道に進もうと考えていましたか?
ブラッドリー:私はハリー・トルーマン(第33代米大統領)が1940年に上院議員に再選されたことをテーマに卒業論文を書いているので、その意味では政治に興味はありました。しかし、自分自身の政治家としてのキャリアを計画していたわけではありません。それには、若すぎました。まずは、人生経験を積まなくてはいけなかったのです。次のステップはオックスフォード大学への留学だ、と。その次が「プロとしてバスケットボールで食べていけるか?」でした。大きな決断でしたが、私は入団することに決めました。
――NBAチームからのドラフト指名があったにもかかわらず、入団を保留して英オックスフォード大学へ留学するという決断は、容易にはできないと思います。多くの人は、成長が早い若いうちにNBAでプレーしたいと考えるでしょうから。
ブラッドリー:私は違いました。時間があること、そして人間として成長する必要があることを知っていました。もっと人間として成長すれば、仮に政治など別の世界に転身した時により良い結果を出せるだろうと考えたのです。人生は、単なる政治のスピーチ以上のものだと考えていましたから。人生とは、人間としての自分の複雑さを理解することでもあります。
――ニックス時代のチームメイトのデイブ・ディバッシャーがあなたのことを、「(ブラッドリーは)空港のバーに宇宙人がいたら、話しかけに行くような好奇心の持ち主だ」と話しています(笑)。
ブラッドリー:私はいつも他の人たちに好奇心をもっていました(笑)。何が彼・彼女らを動かしているのか、と。私と異なれば異なるほど、好奇心を抱いたものです。もし私と同じような小さな町で生まれ育った人であれば、さほど気にしなかったでしょう。特に自分と違う人々に興味がありました。その「違い」の中にこそ、私たちが共有しているものへの深い理解と敬意があったからです。つまり本質的には、私たちはいかに似通っているか――。そう考えると、互いの違いなど、ある意味では表面的なことに過ぎなかったのです。
――議員はクリスタル・シティという小さな町で育ちました。人口は確か……。
ブラッドリー:3472人です。
――とても詳細ですね。ご著書には、「大都市出身の選手に負けたくない」という気持ちが根底にあったと書かれています。
ブラッドリー: 私はずっと、小さな町の出身だということに引け目を感じていました。 だからこそ、「都会の学校には絶対に負けたくない」と、バスケットボールに打ち込んだりもしました。その経験は政治家になってから生きました。 私と同じような地方の出身者や、社会の中で「違う」とされる人々――要するに、「エリート」ではない人、特権とは無縁の場所から来た人々の気持ちが、心から理解できるようになったのです
――『The Values of the Game』(未邦訳)では、バスケットボールを通じて学んだ価値観について解説されていますね。
ブラッドリー:全米ベストセラーになりました。その本で紹介している価値観は、いずれも私がバスケットボールをして学んだものです。野球やオーケストラなどからも学べますが、私はバスケットボールから学びました。無私の精神や想像力、レジリエンス(回復力)、勇気、そして規律といったすべての価値観、これらはすべてバスケットボールの試合や練習から学んだことです。


