――ビル・ブラッドリー上院議員、あなたは自伝的ドキュメンタリー『Rolling Along: An American Story(とうとうと流れつづける:とあるアメリカン人の物語)』を制作するにあたり、観客を前にライブでご自身の半生を回想するという挑戦をされました。今までのように本を書くという選択肢もあった中で、なぜそうされたのでしょうか?
ビル・ブラッドリー元米上院議員(以下、ブラッドリー):おっしゃる通り、私はこれまでに本も書いてきました。政治家としてのキャリアを最も網羅しているのは、回想録の『Time Present, Time Past; A Memoir(自伝;今という時、過ぎし時)』(未邦訳)です。でも、これまでにない挑戦がしたかったのです。自らの人生の物語を書き、観客を前にしてそれを伝える――。政治家は常に聴衆に向かって話すものですから、人前で話すこと自体は、私にとって新しいことではありませんでした。これはパフォーマンスだけではなく、台本の執筆もその中心をなしていたのです。
――つまり、執筆とパフォーマンスの2部構成からなる挑戦だったと。
ブラッドリー:ええ、じつは2つのパートがあったわけです。台本を書き終えると、次はそれを演じるわけですが、まずは暗記しなければいけません。(米ニューヨークのマンハッタン島にある)セントラル・パークを歩き回りながら暗唱しましたよ。覚えると、次にそれを演じました。住んでいたマンションの娯楽室で、毎日午後3時半にその“ショー”を開演しました。やがて、「ブラッドリーが3時半にショーをやっているようだ」と噂になり、見に来てもいいかと聞かれるようになったので、「もちろん」と。2人だったり、5人だったり。多い時には10人来ていましたね。それを週5日、毎日3時半にやっていました。
――それがどのような経緯でドキュメンタリー作品『Rolling Along』になったのでしょうか? 映画『スター・ウォーズ』シリーズのヨーダの操作で有名なプロデューサーのフランク・オズ、そして有名映画監督であり、あなたが所属していたNBAニューヨーク・ニックスの熱心なファンでもあるスパイク・リーの2人がプロデューサーを務めています。まさに「ドリームチーム」です。
ブラッドリー:ある日、二人組が“ショー”を観に来ました。1人は私のマッサージ師で、もう1人がフランク・オズでした。するとフランクが「手伝わせてほしい」と言ってくれたので、「あなたはあの偉大なフランク・オズじゃないですか!」と、喜んでお願いしました。そうしてフランクが関わることになったのです。私の物語とパフォーマンスに心惹かれたようです。
スパイク・リーとは長年の友人です。おっしゃるように彼はニックスのファンです。ある夜、ニックス時代のチームメイトだったウォルト・フレイジャーが経営するレストランでばったり会いました。私が行った夜に偶然、スパイクもいたのです(編集部註:ウォルト・フレイジャーは、NBAニューヨーク・ニックスやクリーブランド・キャバリアーズで活躍した名選手。「Clyde<クライド>」の名で愛され、ニューヨーク市内の飲食店「Clyde Frazier's Wine and Dine」を経営していたが、2021年にコロナ禍により閉店)。
「スパイク、一人芝居をやってみたんだよ」と伝えると、彼が「ブルックリンに来て演じてもらえませんか」と言うのです。そこで私はブルックリンに行き、スパイクの前で全編を演じきりました。終演後、彼は目に涙を浮べていたので、手応えを感じました。当初はこの“ショー”を全米ツアーというかたちでライブ公演しようと思っていたのですが、新型コロナウイルスが世界的に流行してできなくなってしまいました。そこでコロナ禍が収束したとき、これを映像に残したいと決心しました。
スパイクとフランクの協力と助言、そして(『マイケル・ジョーダン: ラストダンス』のエグゼクティブプロデューサーで知られる)有名ドキュメンタリー監督であるマイク・トーリンの演出のおかげで、私の“ショー”はドキュメンタリーになったのです。ニューヨークの42番街にある劇場を借り、4夜にわたって観客の前でショーを行いました。マイク・トーリンが5台のカメラを回し、それを編集してくれたものが、ドキュメンタリー『Rolling Along』になったのです。


