経営・戦略

2025.12.06 17:00

F1の名門「マクラーレン」復活、マーケ出身CEOが商業戦略を最優先し6800億円企業に

2025年10月5日、マクラーレンF1チームは、シンガポール・マリーナベイ・ストリートサーキットで開催されたF1シンガポール航空シンガポールグランプリにおいて、コンストラクターズ世界選手権タイトルを祝った。(Photo by Robert Szaniszlo/NurPhoto via Getty Images)

チーム低迷期に就任したブラウン、広告代理店を創業した経験を活かしスポンサー網を再構築

慎重になるのも無理はない。ブラウンが2016年にレース部門の親会社へエグゼクティブディレクターとして加わった当時、チームは深刻な低迷期にあった。翌シーズンのコンストラクターズ選手権では、過去3年で2度目となる9位に沈んでいた。

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この親会社は現在、マクラーレン・グループとして知られ、別組織となるマクラーレン・オートモーティブを通じてスポーツカー事業も展開している。しかし当時は、工場の士気が落ち込み、ファンの不満が高まり、スポンサー離れも進むなど、状況は厳しかった。2018年にマクラーレン・レーシングのCEOに就任したブラウンは当時を振り返り、「スポンサー契約も過去最低レベルだった」と語る。

しかし彼は、この状況を変えるための経験と実績を積んでいた。

ブラウンは元レーシングドライバーで、1995年にモータースポーツに特化した広告代理店Just Marketing Internationalを創業。その後の20年間、サブウェイやクラウンロイヤル、LG、UBSといった大手企業を、米国で人気の自動車レースNASCARやF1に引き込む大型契約をまとめてきた。2013年に同社を英広告持株会社Chime Communicationsに7600万ドル(約118億円)で売却した彼は、マクラーレンに参加して以降、自らの強みを活かし、スポンサー網の再構築に本腰を入れた。

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「自分の専門性を考えれば、車両の技術面に踏み込んで改善策を語る立場ではなかった」と、カリフォルニア出身のブラウンは振り返る。若い頃に下位カテゴリーでレーサーとして走った経験を持つ彼は続ける。「だからこそ、自分の得意領域である企業スポンサーの獲得に全力を注いだ。それが人材や設備、そしてチーム全体への投資につながり、復活への勢いを生むと考えていた」。

名門チームの歴史を尊重しつつ、パパイヤオレンジのカラーリングを復活させて改革

もっとも、フェラーリに次ぐ古参チームであるマクラーレンは、ゼロから再出発したわけではない。1963年に伝説的ドライバーでありエンジニア、経営者でもあったブルース・マクラーレンが創設した同チームは、3年後にF1へ参戦した。その後、世界初のカーボンファイバー製シャシー、空力効率を高めるノーズベントといった革新的技術を次々と投入してきた。

そして、1974年から1998年までの間に、F1コンストラクターズ選手権を8度制覇したチームは、現在のマクラーレン・レーシングの体制のもとでも、F1以外のカテゴリで勝利を積み重ねている。インディ500やル・マン24時間レース、そしてF1モナコGP──この3大会を制覇したF1チームは、現在もマクラーレンただ1つだ。

しかし、2010年代に入ると、マクラーレンはランキングを落とし、「ブランドの立て直しが急務となった」とマーケティング責任者のルイーズ・マキューエンは振り返る。ちょうどその頃、米リバティ・メディアが2017年に47億ドル(約7285億円)でF1を買収し、シリーズ全体の刷新に乗り出したことが、マクラーレンの改革を後押しした。

ファン層の分析やブランド戦略の見直しを進めた結果、1968年のマシンで初めて採用され、1970年代以降は使われていなかった象徴的な「パパイヤオレンジ」のカラーリングが復活することになった。

マクラーレンはまた、その後の数年でインディカーや電気自動車(EV)レースのフォーミュラEなどF1以外のカテゴリーにも参戦し、その存在感を活かしてスポンサーを呼び込んだ。

「私たちはスポンサー候補に対して、当時ほかのチームにはなかった提案ができた」とマキューエンは語る。「勝てるかどうかという点だけではなく、視野を広げて複数の価値を提示できたことが大きかった。レースの結果だけに頼らず、多様な選択肢を提供できたことが、さまざまな企業に響いたのだと思う」。

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翻訳=上田裕資

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