完全に足並みが揃っているという幻想
経営陣が考えを同じくするという発想は、耳触りはいいが非現実的だ。方向性には一貫性が必要だが、完全な意見の一致は誰かが発言を控えたことを、意味することが多い。
レンシオーニは、真の明確さはスローガンやスライド資料では作り出せないと述べている。「意見の一致と明確さは、ありきたりなバズワードや理想を掲げたフレーズを盛り込んだもので一気に達成できるものではない」と書いている。
筆者が目にした最強のチームは、それぞれが尊重される緊張感の中で機能している。財務部門は規律を、戦略部門は拡大を、リスク管理部門は保護を、文化部門は能力の拡大を推し進める。これらが合わさって、内部の統制と均衡のエコシステムが形成される。
これを必要な不一致、または構造化された相違と呼ぼう。企業が誠実さを維持できるようにする要素だ。必要なのは差異をなくすことではなく、異なる見方を安心して示せるようにすることだ。
レンシオーニは「リーダー陣がチームでなければ、組織はチームにはなりえない」と言う。
解散した血液検査会社Theranos(セラノス)は、標榜したヘルステックで人々の記憶に残っている。問題は経営陣にあった。経営陣は創業者のビジョンを頑なに信じ、異論は危険なものになった。会議は形式的な承認の場と化し、疑念を抱くと相応の結果が伴った。レンシオーニの目には、機能不全に陥るのに必要なあらゆる要素がそろっていた。信頼も対立も真の責任もない。実験室で従業員が口にしていた行き詰まりは、報道されるずっと前から役員室では始まっていた。リーダーたちが互いに真実を語らなくなった瞬間からだ。
経営陣の行動は、従業員へ波及する。上層部が結束を失えば、組織全体がその警告となる事態を模倣するのだ。
レンシオーニは信頼が強固であれば、対立は変容すると繰り返し記している。「信頼が存在する場合、対立は真実の追求に他ならない」と説明する。
そして、その真実でもたらされるものは組織の健全性だと、レンシオーニは言う。「企業が得る最大のものは、組織の健全性だ」とレンシオーニは書いている。
真実と健全性という2つの概念は、ギャラップの調査結果と直に結びつく。これらは曖昧な指標ではない。信頼と責任を可視化する要素だ。レンシオーニのモデルは、今もリセットボタンとなっている。脆弱性に基づく信頼、敵意なき対立、発言によるコミットメント、配慮を通じた説明責任、そして集団の利益に根ざした成果だ。
経営陣ができること
大半の経営陣は新たな枠組みを必要としない。必要なのは業績追求をやめ、率直な姿勢に戻ることだ。以下に挙げる経営陣が取り組めることは、筆者が自らの遠慮がちな姿勢を最終的に改めたリーダー陣との関わりで得られたものだ。いずれも実践的で、おそらく少々奇妙な感じを伴うだろう。だが、対立を個人的なものにせず、生産的なものにすべきとレンシオーニが長年訴えてきたことを反映しているものだ。
1. 年次オフサイト会議を脆弱性チェックの機会にする
目標設定のプレゼン資料はなしにしよう。代わりに「我々が見て見ぬふりをしている問題は何だろうか」という質問を投げかけるといい。匿名の回答を集め、その後全員で議論する。空気は一気に重くなる。だが信頼も同様に深まる。レンシオーニの見解では、脆弱性の欠如こそがあらゆる機能不全の根源だ。チームビルディングではなく、真実を語る行為こそが真の出発点となる。
2. スライドなしの会議を開く
四半期に一度、資料や図表、スライドはなし、ホワイトボードと対話だけという会議を開く。プレゼンテーションという鎧がなくなれば、地位は重要ではなくなり、本質が浮き彫りになる。残るのはパフォーマンスではなく対話だ。レンシオーニは真の会話がみられない意見の一致は、コミットメントではなく振り付けに過ぎないとリーダーに言っている。


