出向の危機が心に火をつけた
前社長の藤江は「富士山ではなくエベレストを目指す」と、ポジティブな未来を示すことで変革を促した。対照的に、中村はリスクを強調するアプローチをとる。危機感が人や組織を強くする──。このような信念をもつに至ったのは、若手時代の経験と無関係ではないだろう。
東京工業大学で生分解性プラスティックの発酵合成の研究に明け暮れ、修了生総代まで務めた中村は、「食品または発酵関連の、食卓に並ぶ新製品を開発したい」との思いで味の素に入社した。しかし、アサインされたのは電子材料だった。
「当時はバブル経済の名残からか、社内には新しいことに挑戦していこうという機運がありました。気持ちを切り替え、まず取り組んだのがプリント基板のソルダーレジストの開発です。競合とは違う新しいものができたのですが、競合とお客様との間に入り込むのが難しく、4年で開発中止になりました」
その後に手がけたのがABFだ。顧客はフィルム化を望んでいたものの、技術的なハードルが高いため競合他社は尻込みしていた。その様子を見て、後発の味の素でもチャンスがあると踏んだわけだ。
しかし、バブル崩壊の余波で研究チームは解散。中村は子会社への出向が決まりかけた。
「このとき上司が『どれほど新鮮な素材も、ゴミ箱に入れれば生ゴミになる』と言って、私のことを守ってくれたのです。新鮮な素材とは私のこと。おかげで、ひとりでフィルムの開発を続けることを許されました」
首の皮一枚つながった中村は寝る間を惜しんで研究を続け、2年で製品化にこぎつける。チームは増員され、3年目からは量産化に挑戦。顧客である電機メーカーの担当者とともに、平日・休日問わず一緒に開発実験に取り組んだ。
中村らのハードワークぶりを組合が問題視し、直属の上司にクレームが入ったこともある。しかし中村は「やりたいからやっている。やらせてほしい」と押し通し、ABFの量産化を成功させた。
まわりがブレーキをかけようとしてもハードワークをやめなかったのは、出向の危機を経験したからにほかならない。「いらない存在になりたくない」という思いが、中村の背中を押し続けたのだ。
危機感とハードワークが成功を呼び込むという考え方は、リーダーになった今も変わらない。一方、今やハードワークを推奨できない時代であることも理解している。力強さに欠けるメッセージでは、社員の心に火をつけることは難しい。そこで中村が意識しているのは、自ら背中を見せることだ。
「近年は部下のサポートに徹するサーバントリーダーシップが評価されています。でも、それではリーダーとして甘いと思う。私の理想は、自らハードワークして変革を起こすリーダーシップ。私自身が挑戦を続けることが、何より社員にポジティブな影響を与えるはずです」
味の素のトップとして、中村はこれからどのような挑戦をしようとしているのか。最後に、味の素が向かう先について語ってもらった。
「味の素は藤江の時代に日本におけるサイロ化の壁を取り除いて成長しました。次はグローバルで融合を進めたい。ジェンダーや国籍はもちろん、食品とバイオ&ファイン、技術と営業といったクロスキャリアパスで壁を取り払い、真のグローバルカンパニーになる。これが、私が思い描く味の素の未来です」

中村茂雄◎1967年、兵庫県生まれ。東京工業大学大学院総合理工学研究科化学環境工学科を総代で修了したのち、92年に味の素に入社。2019年6月味の素ファインテクノ社長、22年執行役常務兼ブラジル味の素社長。25年2月に代表執 行役社長最高経営責任者に就任。同年6月取締役。


