研究ではまた、こうした傾向は不安な愛着スタイルを持つ人が示す感情調節障害と対照的であることも示している。研究によると、何かで頭がいっぱいになっている人は恋愛に伴うストレスで落ち着きがなくなりがちになり、また「そうではないと否定する人」は苦痛の徴候が体に表れているにもかかわらず心を閉ざすという。だが、どちらの場合も「イエス」と言う習慣が身についている。そして、そう言うのはそうしたいからではなく、恐れからだ。対立や過剰であることを否定されること、そしてつながりを失うことを恐れているのだ。
明確に、そして温かさを持って「ノー」と言えるというのは、その人が自己放棄しているのではなく、自己を尊重していることの表れだ。恋愛関係においてその違いは相手を引きつける力を持つ。それは自尊心と心理的安心感のレベルを示すものであり、自然と人を引きつける。
2. 「ノー」は「イエス」を意味のある信頼できるものにする
すべてにおいて「イエス」と言っていると、本当に何を望んでいるのかわからなくなってしまう。「何でもいいよ」と言い続ける友人と週末の予定を立てようとしたときのことを考えてみてほしい。そうした友人の何にでも同意する性格は役に立つというより、混乱させるものであった可能性が高い。
恋愛関係において、コントラストは望ましさをかき立てる。そして、パートナーの熱い気持ちは、それがあらゆることに対し示されるものでないときにのみ意味を持つ。
研究によると、何かが希少である(あるいは常に手に入るわけではない)場合、脳はその価値を高く評価し、近づきたいと強く思う。ある意味、この希少性が自然に欲求を強め、ポジティブな結果をより報われるものに感じさせる。恋愛関係においても、同じ原理が感情的なシグナルにこっそりと適用される。要するに、思慮深い「ノー」の後に発せられる「イエス」は神経学的にも感情的にもより意味がある。
例えば、あなたが疲れているときに計画に「ノー」と言えば、パートナーはあなたの最終的な「イエス」が心からのものであることを知る。理不尽な感情労働に「ノー」と言えば、相手はあなたのサポートが枯渇からではなく充足から来ていることを知る。自分を傷つけるダイナミクスに「ノー」と言えば、あなたの「イエス」は恐怖ではなく自尊心に根ざしているため、関係に信頼を寄せていることを示すものとなる。

