残念なことだが、ニューヨークとシアトルの市政を担うこととなった社会主義者の新市長たちは、感謝祭とメイフラワー号で新天地アメリカにたどり着いた清教徒の人々(ピルグリム・ファーザーズ)をめぐる真相を知らないようだ。ピルグリムたちは苦い教訓を噛みしめねばならなかった──社会主義は、機能しないのだ。
米国人ならたいてい、感謝祭の起源にまつわる伝説的な物語を知っているだろう。1620年、宗教迫害から逃れたピルグリムたちはメイフラワー号に乗り、のちにプリマス・ロックと呼ばれる地へ到着した。最初の冬は厳しいものとなったが、地元の先住民ワンパノアグに助けられ、生き残った人々は土地に合った農法を学んだ。こうして実を結んだ収穫を祝う宴が開かれ、これがやがて感謝祭と称されるようになったとされる。
しかし、伝説とは裏腹に、実際の収穫は豊作ではなかった。プリマス植民地は崩壊寸前で、深刻な食糧不足と不満が蔓延していた。植民地総督ウィリアム・ブラッドフォードの記録にもあるように、問題は入植者たちが当初採用した制度にあった。それは現代で言うところの社会主義、あるいは共産主義だ。
すべての土地が共同所有され、共同で耕作されていた。私有地は存在せず、食料や衣類も全員に均等に分配された。懸命に効率よく働いた者も、怠け者や全く働かない者と同じ量しか受け取れなかった。女性は共同生活に伴う日々の雑事を割り当てられたが、これに激しく憤慨した。困窮した入植者たちはわずかな持ち物を売り払って食料を得ようとし、地元の先住民たちに「帽子一杯のトウモロコシ」を分けてくれるならどんな雑用でも引き受けると懇願した。
ここに至り、ブラッドフォードら指導者たちは──ニューヨークやシアトルの新市長らとは異なり──経験から学んで抜本的な改革を行った。各家族に土地を分配し、その土地で栽培した作物の扱いは自由としたのである。強制的な共同体労働も廃止した。短期間のうちに不足は満たされ、プリマス植民地ではあり余るほどトウモロコシが収穫できるようになった。
このような経験は、当時としては珍しいものでもなかった。たとえばバージニア州のジェームズタウン植民地は、英国の投資家が営利目的で元手資金を出す商業事業として設立されたが、入植者たちは共同倉庫のために働かされ、プリマス同様に悲惨な結果に見舞われた。「飢餓の冬」と呼ばれる季節を経て、ジェームズタウンは自由市場制度に転換する。入植者には3エーカー(約1.2ha)の土地が与えられ、共同倉庫への納入義務を果たした後に残った収穫は自分のものになった。生産量は急増した。さらに一定の条件を満たせば、新たに50エーカー(約20ha)の土地を得ることができ、食料に困ることはまずなくなった。
人間の創造性を解放し、人々が自ら才能を見いだして十分に開花させられるようにすれば、自由市場は繁栄を生み出す。一方、社会主義は社会を悲惨な状況に陥れる。
残念ながら現代では、プリマスやジェームズタウンの教訓はおろか、ソビエト連邦、毛沢東時代の中国、キューバ、ベネズエラ、北朝鮮といった20世紀以降のぞっとする実例でさえ、あまりにも多くの人々に忘れ去られてしまっている。繁栄をもたらすのは政府でもなければ連邦準備制度理事会(FRB)でもなく、いわんや大口をたたく左派でもない。自由な人々の築く社会こそが繁栄を生むのである。
ピルグリムたちが苦労して得た知恵を、われわれは決して忘れてはならない。



