映画

2025.11.30 14:15

クマとヒトの関係に重ねられる”女の闘い”|「リメインズ 美しき勇者(つわもの)たち」「デンデラ」

seread / Adobe Stock

女と女の闘いは、『デンデラ』でも描かれている。監督の天願大介は『楢山節考』(1983)を撮った今村昌平の子息であり、本作は『楢山節考』の続きといった体になっているが、後半から執拗に母グマが出てくる。ざっとあらすじを見ておこう。

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70歳になった老人は「お山参り」として山奥に捨てられる風習のある貧しい寒村。雪深い山中に置き去りにされた斎藤カユ(浅丘ルリ子)は、デンデラという集落を作り共同生活している先輩老婆たちに助けられる。頭の三ツ屋メイ(草笛光子)は、自分を捨てた村に激しい復讐心を抱いており襲撃計画を練っているが、椎名マサリ(倍賞美津子)は、デンデラを村より住み良くすることが村への仕返しになるという穏健な立場。ボロを纏い原始的な狩猟生活をしながら過酷な環境でサバイバルし、それぞれの生き方を貫こうとしている老婆たちに、自我を殺して生きてきたカユは価値観を揺さぶられる。

‥‥と、中盤までは装いを変えたフェミニズム映画だが、子グマを連れた飢えた母グマの襲来から、がらりと様相が変わってくる。老婆たちは村襲撃どころではなくなり、団結してクマに抗戦するも次々死傷。主要メンバーが全滅した後、ついにカユはデンデラを出、なけなしの力を振り絞って走り、自分を棄てた村の近くへとクマを誘導する。

生き残った数少ない老婆たちを守るためには、母グマを別の目標に向かわせるしかない。村には銃を持った男衆がおり、うまくいけばクマは仕留められるし、失敗すれば村人が襲われる。もっともその前に自分がクマに殺されるかもしれない‥‥。終盤で描かれるのは、人生で初めての大勝負に出る老女の姿だ。

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佐藤友哉の同名の原作では、デンデラ内部の齟齬やカユの迷いが詳細に描かれ、母グマの「心理描写」があり、物語としてのまとまりをつけようとしている映画とはラストもやや異なる。が、いずれにしても老婆たちと母グマの「女」同士の闘いを経て、最後にカユと母グマを同方向に走らせることで、「姥捨」への一つの解を導き出していると言える。村という共同体から弾かれた女が、自然界の強力なメスの力を借りて人間界に復讐する、という見方も可能だろう。同時に、ラストの「食うか食われるか」の緊張感は、クマとヒトとの共存の難しさを示唆している。

カユと比較すると「リメインズ」のユキは、さまざまな場面で自分の我を通そうとする、見方によってはなかなか傍迷惑な女であり、一旦は自ら共同体からはずれる。しかし彼女の行動原理はあくまで家族を殺したアカマダラへの復讐を目標としており、鋭治との恋模様を通して最終的には彼と共にクマと対決するため、村に帰還する。

ドラマの性質上も史実を踏まえても、ここでクマは圧倒的な敵として描かれる必要があった。だが銅山試験掘りのシーンに見たように、明治に始まった急速な近代化ゆえの開発が生態系を破壊してきた、その結果としての「熊害」であることも読み取れる。

クマは「善」でも「悪」でもない。その存在のありようは、人間社会をそのまま反映しているのだ。

文=大野左紀子

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