キャリア・教育

2025.12.05 13:30

人的資本を掲げる前に:川村雄介の飛耳長目

Ground Picture / Shutterstock.com

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人格、能力抜群の才女がいた。小学校から大学まで一緒だった。勉学も運動も何でもトップ、しかも優しい性格で人を分け隔てすることなく、とくに弱い立場の生徒や下級生の味方だった。彼女には強い信念があった。「ずーっと学校の先生に憧れているの」。そして、素晴らしい教師になった。そんな彼女が、教え子を毒牙にかけるような昨今の一部教員の行状を耳にしたら、どれだけ嘆くだろうか。悲しいことに彼女は惜しまれながら早逝してしまった。

職業は崇高な存在だ。一人ひとりにとっての聖職といってもよい。多くの企業が宣言するパーパスやミッションは、まさに事業を崇高な聖職と捉えている。企業を構成する最重要な宝物が人材である。最近は人的資本という言葉が多用されるが、人間とモノを同一視する印象が否めない。企業開示を可能な限り定量化して可視化しよう、との意図は理解できるが、人材、せいぜい人財で十分だと思う。

企業の人材教育は、若き日の憧れを実質化して強化していくために不可欠である。平成時代以降、中途半端な人材の流動化が始まり、雇用慣行の多様化という名の下の混乱に陥るなか、企業の教育は昭和時代に比べるとかなり軽視されてきた観がある。個人レベルのリスキリングなどでは、ジョブ・マーケットが確立されていない環境でその実を上げることは難しい。令和に入ったころから企業教育の充実が叫ばれるようになったことは偶然ではない。

企業教育を語る際にしばしば指摘される点がタスクとスキルの相違である。「作業」と「技能」と日本語で表現したほうがわかりやすいと感じるが、そのまま使用する。

タスクとは仕事を構成する個別具体的な作業を意味し、定型的、定量的な業務が多い。スキルはタスクを上首尾に遂行するための技術・能力を指す。仕事の性格をこのように分析的にとらえると確かに頭の整理にはなる。では、現場の実態はどうか。

ある大メーカーは技能オリンピックの入賞者を輩出している。「大小のネジを拾い上げて複数の均質な金属箱をつくり、その箱の各頂点を丸めたうえで、別途製作する球体の器に詰め込みながら……」といったテーマが与えられる。作業机に金属のインゴット、厚板や回路、コードなどさまざまな材料が並べられ、分厚く詳細な設計図を渡される。背後に設置された工作機械を駆使して、課題通りの製品をいかに短時間でつくり上げられるか。競技者の技には驚愕するばかりだ。

別の工場では、30代の明るい女性が笑顔で迎えてくれた。地元の高校を卒業して20年弱、この工場で働いている。昨年、社内の技能コンテストで最優秀総合賞を受賞した。何と、1万点の部品からなる精密機器をたったひとりで組み立ててしまう能力を身につけていた。

彼らがもっているのはタスクなのかスキルなのか。愚問である。両者を備え、かつそれらを有機的、可逆的に高めているのだ。タスクがスキルを呼び、スキルがタスクを向上させ、また次のスキルを生む。この好循環が日本の製造業を支えてきた。タスクとスキルは連続的な仕事力にほかならない。

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文=川村雄介

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