信頼性と実装力を持つ日本IBMと、10万人のAI人材ネットワークを有する気鋭のスタートアップSIGNATE(シグネイト)がAI開発でタッグを組んだ。共にテクノロジーに秀でる企業同士、この共創の狙いは何か。AI技術進化の最前線に立つ4人のキーパーソンが、共創の意義と可能性を語り合う。
「そんな機能がもう出た?」。AI進化は止まらない
日本IBM 山之口裕一(以下、山之口) AIが急速に進化するいま、昨日までは不可能だったことが、今日から可能になるといった変化はもはや当たり前になってきました。
日本IBM 田中啓朗(以下、田中) たとえば、2023年初頭ごろまでは、言語と画像を同時に理解するAIはまだなかったのですが、その半年後にはChatGPTにも組み込まれて可能になりましたし、最近はAIが自らブラウザを操作するChatGPT Atlasも新しく登場しています。こんな風に次々と新しいAIが出てくる時代なので、いま使っているAIが翌日には時代遅れになっても不思議ではありません。2025年は「AIエージェント元年」とされ、これからはAIが人間の代わりに状況やデータを理解し、状況に応じて自律的に判断・行動するエージェントのような働きがビジネスにも実装されていくようになるといわれています。
シグネイト 齊藤 秀(以下、齊藤) 世界中の企業や投資家がAIの開発に巨額の資金を投じていますし、おそらく技術開発自体にもAIが活用されているはずですよね。つまり、AI技術が進歩すればするほど、開発競争、製品開発のスピードが加速する状況です。我々からすると「もうそんな機能が出たの?」と驚かされますが。
山之口 これほど技術的な進化のスピードが速いなかでは、テクノロジー開発から実装までのすべてを一社単独で担っていくには限度がある。この先スピーディーに顧客企業へ新しい価値、最先端テクノロジーを提供していくためには、我々にない特徴を持っている企業と相互補完的なパートナーシップが不可欠だと判断しました。シグネイトさんとの共創に至る背景はここにありますね。
共創相手は「ギークな会社」、シグネイト
齊藤 シグネイトは、まさに最先端テクノロジーを日々キャッチアップしながら、社会実装していくことをミッションに掲げる会社です。企業・行政へのテクノロジー提供においては、運用を促進するために導入先の社員教育もセットで行いながらDX、AX(AIトランスフォーメーション)をご支援しています。
田中 シグネイトさんは、「AI開発コンペティション」というユニークな事業をご展開されていますね。改めて、詳しくご紹介いただけますか。
齊藤 約10万人のAI技術者を会員に持つ国内最大規模のコンペ型プラットフォームを運営しています。プラットフォーム上に企業や行政からご相談いただいたさまざまな課題を掲示し、会員たちは競い合いながらAI技術を開発。そこで生まれた優秀なモデルを買い取り、ビジネス実装につなげています。
昔から海外では、学会などで大会を通じてAI技術を競い合うカルチャーが根付いていました。私自身も最初は参加者の立場で関わっていましたが、次第にこの競技システム自体が持つ面白さに強く惹かれるようになりました。15年ほど前、日本でも同じような場をつくれば、AIに関心を持つ人が集まり、そこから新しい技術が生まれるのではないかと考えたのが創業の動機です。当初は「日本では無理」「人材がいない分野でコンペなんて成立しない」といった批判も多くありましたが、地道に継続した結果、現在10万人のAI人材ネットワークを擁するまでに成長しました。
シグネイト 石原大輔(以下、石原) 会員のうち、7割以上が大手企業や研究機関に在籍する優秀なデータサイエンティストやAIエンジニアで、残りはAI分野を専攻する学生です。この10万人のネットワークを通じ、優れた新しいAI技術をどんどん取り入れられることが当社の大きな強みですね。
山之口 当社がシグネイトさんに魅力を感じたのは、まさにその点にあります。常に最先端テクノロジーを取り込む御社と、エンタープライズ向けの業務改革やITシステム構築を得意とする当社がタッグを組めば、クライアントのAI活用による企業変革の実現性を大きく高められる。中立性を保ちながら技術・システム基盤の提供を行えることも利点でした。
それに、シグネイトさんは“Geek”な会社ですよね。最近ではIBMコーポレーションのCEO アービンド・クリシュナが「The Geek Way*」という言葉をよく用いているのですが、これがIBMの新しい働き方の一つとなっています。イノベーティブな企業に共通する4つの規範、つまり、サイエンス、オープンネス、スピード、オーナーシップを有していることを差します。目まぐるしく進化するAI時代に対応していく上で、この企業文化は必要不可欠だと実感しており、シグネイトさんはThe Geek Wayを体現する企業だと思うのです。
*『MITスローン経営大学院首席研究者 アンドリュー・マカフィー氏の著書』
齊藤 当社としても非常にうれしく、ありがたいことです。当社はAI技術の先進性を持つ一方、大手企業に比べると会社規模や実績、知名度の面でまだ弱く、そもそも企業課題に接触しにくいという悩みもあります。
企業規模、歴史、信頼性のある日本IBMさんとの共創は、新しいAI技術をより多くのお客様に届けられるチャンスです。開発した技術は、ちゃんと世の中に実装されて、みんなが使って安定的に普及しなければ、トランスフォーメーションに成功したことにはならないと思うのです。
石原 そうですね。我々はアルゴリズム開発や業務でのAI活用で支援を開始するケースが多いのですが、その先には必ず既存システムとの統合や新しいシステム実装といったフェーズがありますし、AIエージェントの導入が進むこれからにおいてはシステムエンジニアリングの重要性がより一層高まる。御社と連携する意義がおおいにあると感じます。
「相互補完」と「watsonxテクノロジー活用」。2方向から広がる共創の可能性
山之口 両社ともAIテクノロジーに強く、コンサルティング機能を有する同士ですが、それぞれ強みや得意分野が異なります。ここは相互補完ですね。
たとえば、当社は主には大企業全体のシステムエンジニアリングや、複数のシステムやアプリケーションなどを連携させるオーケストレーションが得意分野なことに対し、シグネイトさんは高精度のAIアプリケーションの開発を主軸に行う、というような得意分野があります。
齊藤 役割分担をしつつ、両社の異なる視点や考え方をうまく融合できれば、従来になかった新しい価値も生み出せるでしょう。
田中 これまでの生成AIは考える頭の部分だけで、システムへの入力等の実行部分は人間だったわけですが、AIエージェントはその実行までAIがやってくれます。
そして、このAIエージェント導入による企業改革は、言うは易く行うは難し。AIが社内システムの操作を直接行うため、セキュリティ基準の設計や、社内のガバナンス設計などクリアすべきプロセスが多いのです。そのなかで、まだAIエージェント元年とあって多くの企業ではトライアルの段階で、本格的な実装レベルではないと推測しています。
今回のこのタッグはこうした現状を打破できると考えています。たとえば、シグネイトさんが得意なAIエージェント機能の高度化に取り組みながら、我々が得意とする大企業向けのAIシステム実装支援で、最先端なモデルをきちんと本番適用していける。そういうチームワークを発揮したいですよね。
齊藤 社会全体を見渡すと、最先端のテクノロジーをもっていても、それを用いて解決すべき課題とつながりにくい問題があると思うのです。社会にとっての機会損失と言えそうな問題です。当社はDX推進部門など、より現場に近いところと接することが多いですが、日本IBMさんのように経営トップ層と接するケースは少なかった。
だからこそ、今回の協業には大きな意義があります。当社が日本IBMさんと一緒に、経営のトップが求めている具体的なテーマに接触できるようになる。両者が綺麗に棲み分ける協業の形もあると思うのですが、棲み分けるのではなく、お互いのカルチャーや考え方や視点を融合させるように新しい価値を生み出していければ、なお素晴らしいですね。
石原 その意味で、もう一方の共創計画のメリットも大きいです。今回、私たちのプラットフォームに登録しているAI人材がIBM watsonx環境で技術開発を行うことで、より高度なAIモデルを構築できますし、watsonxのテクノロジーと10万人のAI技術者が生む成果への期待感もある。
田中 watsonxは、ビジネスユースに特化したAIプラットフォームです。他社モデルも含めたマルチな基盤モデルを選択できるオープン性があり、高度なデータプライバシーやコンプライアンス、セキュリティを担保し、透明性の高いプロセスでAIを利用できることが特徴で、最初から企業ユースに耐えられる製品をつくることができる。
watsonxはエンタープライズへの導入が進む一方で、BtoB以外の領域では認知がまだ弱いと感じる場面もあります。今後は認知と活用の場をさらに広げていきたいです。
齊藤 watsonxのこうした技術基盤と私たちの10万人の会員基盤の組み合わせは、ビジネスへの貢献もそうですが、もっと広く社会へテクノロジーを普及させるような活動にも波及できると考えています。山之口さんや田中さんと話をしていると、さまざまな角度でやれることがあるだろうと、アイデアが次から次へと出てくる。複数のプロジェクトが同時に走ることになると思いますよ。
垣根ない共創で日本に“AIを使う人”を根付かせる
石原 IBM watsonx環境を活用することで、次世代のAI人材の育成にも寄与すると期待しています。私たちは毎年、学生向けにAIの競技大会を開催しているのですが、いまの学生たちは、社会やビジネスでどのようにAIが実装されていくのかに興味がありますが、実際の知見やリソースに触れる機会が限られています。ここでIBM watsonx環境や日本IBMさんのリソースや知見に触れられれば、すごくいい刺激になると思います。
田中 当社でも社会全体でのAI人材を増やしていきたいと考えています。中高生向けのオフィスツアーを毎週のように企画・実施して最先端テクノロジーに直接触れてもらう機会を増やすなど、AI人材育成の取り組みに貢献すべく活動しています。いま、日本の一般企業のIT・AIの内製化率は低く、我々のようなSIerやコンサルティング企業が担う役割も多くある状況ですが、AI開発最先端のアメリカではその逆で、一般企業がAI人材を多く抱え、アプリ開発やサービス提供を自社でスピーディに行っている会社も多いです。日本でも、IT企業に限らず、多くの企業の中にAIを使いこなせる人材を増やす必要があります。
山之口 世界のAI利用率でも、日本はアメリカ、中国、ドイツなどと比べてとても低い。今後は若手のAI人材を育成する、そして日本人のAI利用率を上げ、AIを活用したビジネス変革が進み、そこに投資も集まるといったサイクルにしていきたい。そういった取り組みもぜひシグネイトさんとご一緒したいです。
齊藤 そうですね。目先のビジネスだけでなく、社会全体へのテクノロジー普及につながります。日本のAI利用・導入が遅れているのは、さまざまな要因があると思います。もともと新しいテクノロジーに対しては様子を見る傾向、保守的なスタンスがある。あとは経営層に導入の意思があっても、中間管理職や現場レベルになると業務でなかなか使わないという統計も出ているようです。
一方で、アメリカのAI競技プラットフォームの世界ランキングを見ると、上位100名のうち一番多く占めているのが、実は日本人なのです。実際に高性能なAIのモデルを構築するためには、さまざまな技術を高度にすり合わせるノウハウが要求されます。そのあたりに、ものづくりが得意な日本人の気質が活きているのかもしれません。これだけ優れた技術と才能を持つ人材がいるのに、目の前の社会課題を解決しない手はないのではないでしょうか?
山之口 同感ですね。異業種の企業を招いて、この共創の輪を広げていきたいですね。私たちに業種間の垣根はまったくないですから。たとえば、AIとロボットを組み合わせてフィジカルAIをつくることもできそうです。当社はロボティクスメーカーとの共創も視野に入れていますが、そこにシグネイトさんにもご参画いただいて、3社で動くというケースも十分想定できます。
齊藤 2社あるいは3社が共創することで、企業・産業全体へ提供するカバレッジが広がり、社会全体へのAI実装が進みます。そのうえでは、顧客の要望にいかにスピーディーに応えられるかも大きなチャレンジになりますね。共創によってスピードとスケールを両立させる。こうしたいままでにない共創モデルが日本の産業、社会全体にAIを深く根付かせる強力な推進力であると、私たちは確信しています。
日本IBM
https://www.ibm.com/jp-ja/consulting/artificial-intelligence
やまのくち・ゆういち◎日本IBM コンサルティング事業本部 製造・流通・公益・統括サービス事業部担当。常務執行役員。これまで約30年に渡って、製造業界、特に化学・素材・産業機械業界における企業変革、および変革を支える基幹システム構築・展開を多数支援。近年はお客様のビジネスや業界に対する理解に基づき、デジタル変革の共創を推進。
たなか・ひろあき◎日本IBM コンサルティング事業本部 製造・流通・公益・統括サービス事業部_ Industrial AI事業部長。パートナー・理事。戦略コンサルティングの経験を20年以上持ち、現在は製造・流通・公益業界のお客様における生成AI推進担当。全社デジタル・トランスフォーメーションの戦略立案や、デジタル先進技術を活用した新規事業の構想策定から実装の伴走まで数多く従事。
さいとう・しげる◎シグネイト代表取締役社長CEO/Founder。博士(システム生命科学)。オプトCAOを経て現職。幅広い産業領域のAI/データ活用業務を経験。データサイエンティスト育成および政府データ活用関連の委員に多数就任。筑波大学人工知能科学センター客員教授。国立がん研究センター研究所客員研究員。
いしはら・だいすけ◎シグネイト執行役員COO。東京大学大学院修士課程修了後、野村総合研究所、ボストン・コンサルティング・グループ(BCG)にて経営コンサルティング業務に従事。企業の経営戦略立案・新規事業立ち上げ、官公庁事業、その他調査・リサーチ業務などに従事。その後Webスタートアップの取締役COOを経て、SIGNATEに入社。生成AIによる全社変革プロジェクトで多数の支援実績。



