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2025.11.26 16:15

ペンと剣と母。「三島由紀夫百歳」の昭和百年に、元記者の精神科医が文豪分析

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「生まれた直後の産湯の光景を覚えている」

「私は自分の影がそこに立ってゐるやうな気がしたのである。(中略)私はなるべくなら、明るい、快活な、冗談をよく言ふ人々の間で暮して行きたいが、私の知らぬ私は、陰気な、古ぼけた背広を着た方面委員のやうに、暗い軒端々々を訪ね歩いてゐるらしいのだ。そこでは孤独が猖獗(しょうけつ)してゐる。(…)あいつは私の心から来たのである。私の観念の世界から来たのである」
 
少々長い引用から、三島の当時の心情が把握できる気がする。ちょうど、『豊饒の海』第2巻「奔馬」連載開始と同時期で、この直後に自衛隊に体験入隊している。
 
もともと、三島は「言葉の人」だった。生まれた直後の産湯の光景を覚えていると小説(『仮面の告白』)に書くナルシシズムは、裏返せば、脳内作業としての言葉の紡ぎ人である自分への葛藤であり、貧弱な肉体という裏打ちのなさが劣等感に繋がる。それはますます言葉=美の世界に没入していった10代への愛憎交えた両価的感情に支配されていく。
 
平凡パンチの昭和41年9月26日号。三島の性格を精神分析的に調べた結果を載せている。
ロールシャハ・テスト(何枚もの左右対称な影絵風の模様を見せて感じたことを答えさせ、その様子から精神医学的な診断の補助とする心理検査)を三島が受けていると知り、驚いた。

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同号によると、当時メディアに頻繁に出没し、外向的と見えた三島の性格は、実は非常に強い内向的性格と分かったという。
 
「感情におぼれず、むしろそれをきらい、現実逃避的な態度と、つよい知性的な適応のしかたをしめしている。現実にじかにふれることをさけながら、かえってつめたく現実をみている」

三島の小説や評論を読んでからロールシャハの結果を見ると、いま流行りのAIが分析したのかと思ってしまうほど、うなずける。
 
こうした肉体不在打破のために始めたのが30歳で始めたボディビルだったし、最後は肉体と観念のバランスがとれなくなり、肉体から行動へのめり込んでいったと考えるのが自然な流れに思える。

当たり前だが、肉体は滅びる。それを補ったのが、「文化概念としての天皇」だっただろう。問題なのは生身の天皇個人ではなく、神代以来連綿と続く瑞穂の国日本を受け継ぐ「容れ物」としての天皇であったはずだ。

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