佐藤栄作━━「気が狂ったとしか思えない」
昭和時代は西暦1926年12月25日から1989年1月7日までの62年と2週間。実在天皇の歴代在位最長記録だ。天皇が軍の統帥権を持つ主権者だった1945年8月15日までの戦前約19年間と、国民主権に反転した戦後約43年間に大きく分けられる。
戦後はGHQ占領期の1952年4月28日(サンフランシスコ講和条約発効日)までとそれ以後などいくつか区分けできるが、三島由紀夫が自害した1970年は日米安全保障条約が自動延長した年で、GNP(国民総生産)が世界2位になって3年目。東京オリンピックから6年が経ち、大阪万博が開かれた年。昭和元禄とよばれた。
こうした時代背景の中で、三島はいつから、なぜあのように自衛隊蹶起(けっき)を求めたのか。時の佐藤栄作首相が「気が狂ったとしか思えない」とまで言及したあの歴史的事件を。
キーワードは「文と武の相克」。つまり、言葉と行動の関係と思える。
三島は初の自伝的小説『仮面の告白』(昭和24年)で自らの生い立ちと性向について赤裸々に語り、文壇の称賛を浴びた。むろん、作家一流の修飾で事実そのままという保証はないが、官僚だった父平岡梓の文章やそのほかの資料と照らし合わせると、そこには平岡公威(ひらおか・きみたけ、三島の本名)という自家中毒かつ神経質な「やさおとこ」だが、周囲の状況を読み取る感覚に抜きん出た少年像が浮かび上がる。
しかし、名前から受ける硬派の印象とは違い、決して軍国少年ではなかった。しかも彼は同性に対して強い憧憬を有していた。その気質は生来のものであると同時に、幼少時は癇(かん)が強く、神経痛持ちの父方祖母から女の子としか遊ぶことを許されなかった三島の育ち方を十分に反映したものにも見える。
聖セバスチャン殉教の裸体絵図に出会った時に射精したエピソードは、早死にしたいという願望と並んで、三島理解のカギ概念とする研究者がいる。
主人公たちは脇腹にみっつの黒子、みな20歳で死んでいく━━
井上隆史氏。三島没後50年に出版されたのが『暴流(ぼる)の人 三島由紀夫』(平凡社、2020年)。
暴流は、仏教の唯識の教理をまとめた詩句の一節「恒転如暴流」(つねに転ずること暴流のごとし)から採ったとある。
同書は三島の膨大な作品群と行動を時系列で追い、「虚無、セバスチャン・コンプレックス、全体小説」のキーワードをもとに分析している。全体小説とは、三島が『豊饒の海』執筆の動機を「世界解釈の小説にしたい」と発したことからくる井上氏の表現。同書の結末が『源氏物語』や芭蕉の『おくのほそ道』に通じると読み解き、「最高の世界文学」と評価する。
『豊饒の海』(全4巻)で三島が描いた輪廻転生の物語では、主人公は貴族女性から武人学生、タイの王女、港の通信員と流転するが、みな三点の黒子(ほくろ)を脇腹に持ち、第四巻の通信員を除いていずれも20歳で死んでいく。それを作者の視点を持つ重要な役どころの本多繁邦が見守るのだが、ちょうど小説の進行が現実の三島の行動とリンクする。
たとえば、第二巻「奔馬」の主人公飯沼勲は昭和初期のテロ、血盟団事件を下敷きに書かれており、三島は同時期に陸上自衛隊の体験入隊をしている。飯沼は最期、許せぬ財界の巨頭を刺殺し、みずからも自刃して果てる。三島が私設民兵組織「楯の会」を作り、自衛隊に乱入した事件はその2年数カ月後のことだ。
これをどうみたらよいのか。


