AIバブル議論を明確にするドットコムとの類似
AIバブルが比較されるのは鉄道や電話ではない。ドットコムブームだ。
あの時代は何千もの企業が失敗したため、バブルとして記憶されている。しかし、その解釈はより大きな真実を見落としている。あの狂乱期に構築されたインフラにより、現代のインターネットは形作られたことを。今日の経済的なアウトプットの大半は、ごく少数の勝者、すなわちアマゾン、グーグル、メタなどによって生まれている。彼らはバブルの残骸から生まれ、今やS&P500を形づくる存在となったのだ。
ほとんどの企業が消え失せたという事実は、インターネットがバブルだったことを意味しない。勝者が誰かをまだ見抜けていなかったというだけだ。同じ原理がAIにも当てはまる。基盤となる変革が現実的なものであるという証明のために、すべての企業が生き残る必要はない。
ドットコムはダークファイバーを生み出したが、当時それをどう使うか分かっていなかった。AIはその逆だ。インフラは建設前からすでに飽和している。そして今日のS&P500が少数の勝者に支配されているように、AIでも同じことが起きる可能性が高い。
アップルがもつ支配力は、インターネット時代のインフラによって可能となったエコシステムの上に成り立っている。ドットコム狂乱期には誰もそれを予見しなかった。当時、多くの人は最も安全な賭けはシスコだと考えていた。ネットワーク世界全体の配管を供給していたからだ。しかし振り返ると、その確信は誤っていた。
エヌビディアは今日、同じような位置にある。明らかに「つるはしとシャベル」的な選択に見えるのだ。直感が正しいかもしれないし、正しくないかもしれない。要は、技術革命の最終的な勝者はほとんど常に後からしか見えないということだ。AIはこれから、独自の巨人、S&Pを再形成するような企業を生み出すだろう。しかし、舞い上がったほこりが落ち着くまで、それが誰であるかを私たちが知ることはない。
違いは、インターネットのボトルネックが需要だったのに対し、AIのボトルネックはエネルギーであることだ。つまりこの移行は、前回よりも大きくて速いものであり、物理法則によって制約されるのである。
なぜAIはソフトウェアではないのか、なぜそれがAIバブル議論に重要なのか
AIについて最も根強い誤解は、それが過去半世紀のソフトウェアのように動作するという信念だ。従来のソフトウェアは静的な成果物だった。エンジニアが書き、コンパイルし、機械は事前に決められた指示を無限に実行した。機械が持つ知性はすべて事前に形作られたものであり、機械はただ指示通りに動くだけだった。
AIはこの論理を完全に逆転させる。モデルはあらゆるリクエストを解釈しなければならない。文脈を評価し、意味を生成し、直前まで存在しなかった答えを構築する。知性は保存されるのではなく、生産される。事前に書かれた台本は存在しない。あるのはポテンシャルだけで、それが計算によって活性化される。
各応答には物理的なコストが伴う。あらゆる分析、予測、文章の生成にはGPUが継続的に稼働する必要があり、休むことはできない。AIはソフトウェアというより、生きた認知産業に近い。電気を原料に、リアルタイムで知性を製造する工場なのだ。
これこそが、そのインフラ整備が巨大になる理由である。それは誰かが見せびらかすために建てられたわけでも、過剰でもない。世界的な認知産業の足場が作られているだけにすぎないのだ。
需要は仮説ではない。2025年10月29日、マイクロソフトはMicrosoft AzureのAI関連サービスが再び供給を上回ったと報告した。同社は約4000億ドル(約63兆円)の契約済み将来収益も開示し、その平均コミットメントは2年だった。
これらは試験運用ではなく、AI計算を日常業務の必須要素とみなす企業による、拘束力のある契約だ。もしこれがバブルなら、使われないハードウェアが倉庫に積み上がっているはずだ。しかし現実に存在するのは、慢性的な供給不足である。
AIがまもなくコモディティ化するという予測は産業の現実を見落としている。各国はエヌビディアやASMLの能力を模倣するために数十億ドルを投じている。
しかし技術的なギャップは縮まっていない。逆に広がっている。これらはコモディティ的な部品ではなく、人類が設計した中でも最も高度で複雑なシステムのひとつなのだ。
そして私たちはまだその初期段階にいる。AIが人間の労働力のような規模で展開されるのを、私たちはまだ目撃していない。ハイブリッド量子コンピューティングの時代にも入っていない。リアルタイムの知性が、企業の標準的な期待となった世界も経験していない。
AIが長期戦であるなら、私たちはまだその序盤にいる。
AIはソフトウェアとして理解されるべきではない。継続的でエネルギー集約的な認知の上に築かれた、新たな産業セクターなのだ。それぞれ計算がそのシステムを強化し、それぞれの導入がその能力を拡張する。知能曲線は上昇し、コスト曲線は下降する。


