会社員をしながら1stアルバムをリリース
東京大学に合格後、2008年に上京してからはヒップホップのクラブに行く機会も増えていって。そして初めてのライブで自分のビートを流したときに、観客がみんな盛り上がってくれたんです。これってすごく幸せなことだと思えたのがミュージシャンとしての原体験のひとつです。ラッパーのJJJにもイベントの中で出会って、同世代でトラックを作っててラップも格好良くてとても刺激を受けました。よく一緒にやっているラッパーのKMCさんと出会ったのもこの頃です。
中高の時にはそういう人はいなかったのですが、大学には、吃音のことをからかってくる人もたまにいました。でもクラブで出会う人達は相手にどんなバックグラウンドがあるかを理解してくれたし、考え方に一本筋が通っていた。勉強が得意だとか、そうした世間的に認められる能力のある人々が必ずしも正しいとは限らないというのも、クラブで学んだことかもしれません。
ただ、当時の僕は音楽を仕事にできるなんて夢にも思っていなかった。プログラミングも好きかもしれなあと思い始めていたので情報系の大学院に進学して、卒業後はITメーカーに就職しました。
1stアルバムの準備は2014年頃から始めていました。スーツを着て仕事をしながら、空いた時間でビートを作る日々が続きました。会社では思っていたようなプログラミングの仕事はあまりできなくて、同世代のミュージシャンの友達はどんどん良い曲をリリースしていた。会社の昼休み、近くの公園で彼らの曲を聴きながら、自分の現状に悩んだりもしました。
それでも、たとえ自分の曲を聴いてくれる人が少なくても、自分が良いと思える音楽を信じて創作を続けていった。1stアルバム『Pushin’』が発売されたのは2016年、僕が26歳のときでした。リリース後に自分が思った以上の反響をもらえて、音楽で生活できるチャンスが見えたんです。
迷ったときは「ワクワクする感情」に従う
ミュージシャンとサラリーマン、どちらの道を選ぶか悩んだときに、最終的に自分の背中を押したのは「ワクワクする感情」。進路で悩んだときの解決方法をネットで調べていたら、コインの表と裏で別の未来を割り振って、それからコインを投げて決める、というやり方を見つけたんです。
ただし、コインに運命を委ねるのではなく、「出た面の未来を想像したときに、楽しそうだと思えることが一番重要だ」と書いてあって。 コインの表が出たら音楽の道に進む、裏が出たら仕事を続けると仮定して、コイントスしました。
コインの結果は、表。そのとき、心がすごくワクワクするのを感じた。それから会社を辞めて、ミュージシャン一本の生活を始めました。
その少し後に、星野源さんが自分の音楽を聴いてくれてたみたいで、MPCプレイヤーとして楽曲に呼んでもらったんです。その縁で、2018年の紅白歌合戦での星野さんのバンド参加にも繋がりました。
紅白という舞台に立てたことは感慨深いけれど、あくまで星野さんの演奏に参加させてもらった、という感覚です。それでも、自分が30歳になる手前で、紅白やドームツアーみたいな大舞台で演奏させてもらえたことは大きな糧になりました。そのときの経験が、後の武道館で行ったワンマンライブにも繋がったと思います。


