放送作家・脚本家の小山薫堂が経営する会員制ビストロ「blank」に、 鮨職人の幸後綿衣さんが訪れました。 スペシャル対談第20回(前編)。
小山薫堂(以下、小山):幸後さんは福岡で育って、大学は上智ですよね。鮨の世界を意識したのはいつですか。
幸後綿衣(以下、幸後):大学卒業間近ですね。大学時代はコンビニ、オリジン弁当、スターバックス、アパレル、バー、カフェと、それこそいろんなアルバイトをしていたんです。とにかく好きなこと、可能性のあることを仕事にしたいと思って将来を模索していたところ、父が「鮨職人は可能性あるんじゃないか」と。
小山:お父様はなぜ可能性があると?
幸後:父は、飲食ではないけれど自営業で、「将来性があって、成功する確率が高い職業に就け」とよく言っていました。私自身ももともと料理に興味があり、接客業も好きだったので、女性の職人の少ない鮨の世界で頑張れば成功するかもと思ったんです。
小山:それで四谷の「すし匠」に入られたと。親方の中澤(圭二)さんに言われたことで覚えていることはありますか。
幸後:「本当に辛いぞ。でもやめるなよ」「頑張って一人前になって、最初の女性の職人になれよ」と。私もいまはスタッフを雇う立場になりましたが、立ち位置としては「期待はしているけれど、頑張るかどうかは本人次第」と思うんです。中澤さんもそういう感じだったのだろうと思います。
小山:実際、修業時代はいかがでしたか。
幸後:最初の1年は毎日辞めたいと思っていました。体育会系の縦社会だったので、部活動もしたことのない自分にはわからないことだらけだった。白Tシャツに白パンツ姿で、雪の中も半袖で買い物に行っていて、近くに上智大学があったから、大学時代のキラキラとした生活とのギャップも大きくて。仕事のできない自分も不甲斐なく、毎日休憩時間に泣いていました。
小山:でもその道を極めた。挫折せずに済んだのは何が自分の力になったからですか。
幸後:やはり可能性ですよね。頑張ったら可能性があるけれど、辞めたら終わる。それはやっぱりもったいないなと思ったんです。
寿司職人に必要なスキルとは?
小山:3軒目の「鮨 あらい」では個室を任されていましたよね。
幸後:でも7、8年かかってからですよ。私、武器になるかもと思ってソムリエ資格を取っていて、「鮨 あらい」でもワインの仕入れをやらせてもらったんです。しかも「あらい」がまたとても厳しくて、ワインに逃げたというか......。1年フランスにワイン留学したんですけど、逆に「私は鮨職人になりたいんだった」と思い直すきっかけになり、「あらい」に戻って必死に仕事をしていたら、個室をやらせてもらえることになりました。
小山:その後独立され「鮨 めい乃」を開業されましたが、鮨職人で頭ひとつ飛び出るのに必要なスキルって何でしょう?
幸後:マルチ能力だと思います。鮨を握る技術が一流なのは当たり前で、そのほかのスキルが多ければ多いほどいい。エンターテイナー的に面白いとか、魅力的な人柄だとか、その他の知識──例えば、ワインとか日本酒なども詳しいとか。いろんな武器を持っていて、そのすべてが秀でているほうが、いろんな人を楽しませられると思います。



