長野県に拠点を置く建設業・山翠舎(さんすいしゃ)は、古民家で百年以上の時を刻んだ古材を古木(こぼく)としてブランディングし、全国で500以上の店舗や宿泊施設の設計・施工を手がける。世界的なアーティストの作品にも使用されるなど、活躍の場を広げる古木。山翠舎 代表取締役社長の山上浩明はその物語と時間に着目し、新たな産業モデルを描こうとしている。
長野県大町市で、常時5,000本以上の古木(こぼく)をストックしている山翠舎。それらの古木はそれぞれ、いつ、どこで、何に使われていたのかが記録され、古木の購入者はそこに秘められたストーリーに思いを馳せる──。山翠舎は古木を全国各地の店舗や宿泊施設の施工に生かし、これまでに手がけた数は500件以上にのぼる。
実績が裏打ちする山翠舎の強みは、取り扱いの難しい古木の保存方法と加工技術にある。時間の重みによる古木のゆがみや反りを、低温乾燥という保存方法によって再利用を可能にする。そして、古木の持ち味を生かした加工技術は長年の経験が必要だ。
山翠舎の強みが発揮された最たる例が、アーティストが古木を使用するケース。「アフロ民藝」を提唱し、世界的なアーティストであるシアスター・ゲイツの展示に古木が採用された際は、山翠舎のデザイナーがゲイツのスケッチを基に図面に落とし込み、イメージを忠実に再現する加工の工程は彫刻家に依頼した。
「アーティストや建築家は古木の専門家ではありません。われわれが仲介者となって古木との間をつなぎ、デザイナーやアーティストには制約を考えずに自由にイメージを膨らませてほしい」。山翠舎の代表取締役社長であり、三代目の山上浩明は語る。
こうした共創が生まれたきっかけは、山上自身の行動にあった。「古木をアート作品として広げ、世界にも認知してほしい」と考え、2022年から海外事業に挑戦するなかでアート領域にアプローチしたのが始まりだという。フランスでの展示会への出展をきっかけに、海外のアーティストやキュレーターと縁をつなぐなかで、関係が自然に広がっていった。
このエピソードからも窺えるのが山上の発想力、そして行動力だ。「どうしたら古木の魅力が伝わるか」を考え抜き、行動し続けてきたことが山翠舎の躍進や国際展開につながっている。
「徹底的に思考し、もがき抜く」哲学につながったロボット相撲コンテスト
山上が山翠舎に入社する前はソフトバンクで営業を経験し、社長賞も受賞したことがある。営業力の片鱗を見せ始めたのは高校生の頃。「ロボット相撲コンテスト」に出場したいと思い、応用物理班に入った。文化祭で冊子を少額で販売して活動資金にしていたが、山上は企業に広告枠の営業をして、10社の広告を獲得した。その結果、冊子が売れても売れなくても問題ない状況をつくり出した。
さらに、せっかくロボット相撲コンテストに出るなら賞金がほしいと考え、高校生の部ではなく一般の部を狙って出場した。当時のロボット相撲のルールは、20cm四方の土俵で、重さ3kgまで、高さ無制限でラジコン型のロボットで戦うというものだった。
「一般の部に出場するのは大学生や社会人で、知識も予算もあります。大抵は、重量を3kgに収めながらも技術を駆使して重量で戦います。私たちは高さ無制限に注目し、高さのあるロボットをつくり、開始直後に横に倒れ、土俵の幅いっぱいを使って相手を押し出すという戦略を取りました」
優勝とは行かなかったが特別賞に選ばれ、賞金はチームで山分けした。「目的のために徹底的に思考し、もがき抜く」この哲学は、若き日の成功体験によって、彼の生きざまにも強く刻まれることになる。
高校生活も終盤にさしかかり、どの大学に行くか進路を考える時期になった。山上が選んだのは理工学部というITの道だった。建築学部に進むことも考えたが「何もないところからクリエイティブな空間をつくることは自分にはできない。建築ではトップになれないだろう」と思ったという。「中小企業の社長の息子として、父を超えたいという想いが根底にありました。同じことをしてもかなわないので自分のフィールドをつくろう。それが私にとってのITでした」。勝ち筋を設計し、負けないことを意識した選択は、のちの山翠舎の事業につながっていく。
在学中にITで事業を立ち上げ、大学卒業後はソフトバンクに入社。当時は「ITで事を成し遂げよう」と思っていた。配属されたのはネットワーク機器の法人営業。顧客ごとに最適な提案をする営業スタイルで頭角を表し、社長賞もとるほどの営業成績を収めた。
そんな山上だったが部署異動などの環境変化をきっかけに、山翠舎を継ぐことを意識するようになる。その理由は二つあった。一つは幼い頃から大工さんに囲まれて育ち、山翠舎の関係者にはお世話になったという気持ちがあったこと。もう一つは自分の強みである営業力が、山翠舎で応用できるのではないかと考えたからだ。
下請けからデベロッパーへ。次世代に使命をつなぐ

山翠舎に入社した山上が決意を新たにしたのは「父を超える」という使命だ。父と同じことをしているだけでは山翠舎の成長はない。そこで山上が立ち上げたのが古木の買取販売事業だった。
当時、山翠舎は古材を用いたアパレル店舗の施工を手がけていた。そのころの建設業界の常識は、部材の在庫をもたずに都度調達することで、山翠舎も海外から古材を仕入れていた。しかし、古民家から古材を買い取り、保有できれば調達コストが下がり、他社にも販売できる。山上はそう考え、古材の買取販売事業を立ち上げた。
同時進行で、施工会社である山翠舎が抱え続けていた課題にも向き合った。下請けの施工会社である山翠舎が案件を獲得するには、つねに相見積もりの関門を突破しなければならなかった。小さな案件であっても、2〜3社の競合と戦うことになる。
「相見積もりから抜け出すには、上流工程に行くしかないと思い、企画・設計・施工までを提供できる体制を整えました。しかし、案件の上流工程に行っても見えた景色は変わらず、結局はコンペの世界だった。そこで『古木(こぼく)』に着目し、ブランディングや古材の加工技術などさまざまな投資をして、事業を磨いていきました。そして『山翠舎に施工を頼めば、古木の調達もやってくれる』という見せ方にすることで、設計から施工までを一括で請け負うことができるようになったのです」
実際のところ、当初の古材の販売の売上はそれほど多くはなかった。しかし山翠舎は価格競争に乗り出すことなく、古木の可能性を信じ、その魅力を伝えることに尽力した。そもそも古木とは、工業化以前の方法で加工され、エイジングした木のこと。かつての大工が丸太から削り出しているため1本1本形状が異なり、化学的な保存剤も使われていないなど、一般的な建材とはさまざまな違いがある。その過程には高い大工技術が必要であり、また時とともに色を重ねた古木は重厚感があり、空間にインパクトを与え、店舗の誘客にもつながる、と。こうして古木の設計・施工ができる会社として認知を上げ、実績も増えていった。
しかし、課題はまだまだあった。「古民家をどう後世に残していくか」を考えたとき、建設業者として委託仕事をしているだけでは、スケールができない。これでは根本的な解決にならないと、建設産業へのアンチテーゼを掲げたのだ。
「今、日本には約900万戸の空き家があると言われています。それらの空間には暮らしの記憶が刻まれ、高い価値が眠っているにもかかわらず、現場調査の煩雑さや工事費への懸念などを理由になかなか手が出されていません。ならば、自分たちが古民家を買い取ろうと思いました。我々の本気度を伝えるため、自らリスクを取ることにしたのです」
これまでの古民家活用は、出資者が運営もするケースが一般的だったが、それだと数に限界があった。山翠舎は運営する人と投資(所有)する人を分けて、自らは仲介者となり、古民家の物件を見定める。
さらに建物単体ではなく、まち全体の企画・開発を担うことで、古民家の価値が最大化すると考えた。例えば、人が来ないエリアで空き家となっている古民家がある場合、山翠舎が運営会社として集客力のある飲食・宿泊業者を探し、物件の所有者になる投資家と引き合わせる。もちろん施工は山翠舎が担当し、古木を用いて特別な空間を演出する。そして、魅力的な目的地として「まちを再編集する」ことで、江戸時代の宿場町のような場所を現代によみがえらせるという構想だ。すでに第1号案件として、宿泊業として高い人気を誇る『温故知新』とともに、長野県小諸市の古民家を分散型ラグジュアリーホテルに再生するプロジェクトが進んでいる。
それはデベロッパーとなることを意味しているが、山上自身はむしろ「ITにおけるオペレーティングシステムの発想」が活きていると考えている。プラットフォーマーとして人と古木・古民家をつなぎ、自らその需要を生み出す。シアスター・ゲイツと古木をつないだのと同じように。
山翠舎が新たに掲げるミッションは「古民家を解く。」だ。
「デベロッパーになること自体が目的ではなく、古民家を残すためにただ必要な手段だったのです。古民家をただ解体するのではなく、新たな命として蘇らせます。失われゆく古民家の価値を、構造、素材、歴史などにわけて技術によって丁寧に分解し、未来につなぐのが私たちの使命。まずは、20年で1万戸の古民家を解くというチャレンジに挑みます」

山上は山翠舎の事業領域と立場を変容し続けている。下請けの施工会社から上流の設計・施工会社へ。古材を仕入れる立場から「古木」としてブランディングして所有する立場へ。
デベロッパーになれば融資する金融機関や投資家を探さなくてはならない。もがいて辿り着いた答えを実現させるため、未経験の投資家との交渉にもひるまない。答えが正解だったと確信できるまで、山上の歩みが止まることはない。彼を突き動かす熱源とは。
「山上家を自分の代でより良くし、次の世代へとつなぐという使命感があります。古木や古民家に対する気持ちも同じです。100年以上維持してきた古民家なのに、どうにもならなければすぐ解体するのはあまりにもったいない。ここまでつないできた時間という資本を無駄にせず、生かしていきたいのです」
山上浩明◎1977年、長野県生まれ。東京理科大学理工学部卒業後、ソフトバンク株式会社に入社。ネットワーク機器の営業で社長賞を受賞。2004年、父が経営する株式会社山翠舎に入社。06年に古木買い取り販売事業、09年に店舗の設計・デザイン事業を開始。12年に現職の山翠舎の三代目代表取締役社長に就任。21年、事業構想大学院大学 事業構想修士取得。
株式会社 山翠舎
本社/長野県長野市大豆島4349-10
URL/https://www.sansui-sha.co.jp/
従業員18名(2025年11月現在)




