サイエンス

2025.11.20 18:00

サハラ砂漠で最も「有名だった木」、その悲劇的であり得ない最期

テネレの木、1961年撮影(Michel Mazeau)

テネレの木、1961年撮影(Michel Mazeau)

サハラ砂漠と聞いて思い浮かぶのは、果てしなく続く広大な砂丘と、揺らめく灼熱の地ではないだろうか。生命など存在できそうにない、というイメージを抱く人がほとんどだろうし、おおかたはそのとおりだ。

北アフリカに位置するサハラ砂漠は、面積がおよそ360万平方マイル(約932万平方km)と広大で、地球上で最も乾燥が激しい過酷な環境の一つだ。年間降水量が1インチ(約25mm)にも届かないところがほとんどで、夏季には、日中の最高気温が華氏104度(摂氏40度)を超えることも多い。

そんな厳しい環境であっても、生命は生きる術を見つけ出す。50年ほど前のことだが、サハラ砂漠には、他の木から何百マイルも離れた場所にぽつんと1本だけ立つアカシアの木があった。「テネレの木」と名付けられたこのアカシアは、地球で最も孤立した木であり、生き残るとはどういうことかを象徴する存在だった。

常識ではあり得ないその姿は、科学者や旅人、詩人の想像をかき立ててきたが、1973年に思いもよらない出来事が起き、不条理で悲劇的な終焉を迎えてしまった。

テネレの木

テネレの木は、ニジェール中央部にあるアガデスという町の近くに立っていた。サハラ砂漠の中でもとりわけ不毛とされている辺りだ。この一帯は、現地遊牧民トゥアレグ族の言葉で「何もない」という意味の「テネレ」と呼ばれるが、「砂漠の中の砂漠」という別名もある。どの方向に目を向けても、何百マイルも先まで砂の他には何もなく、木どころか、茂みや草もまったく生えていない。

テネレの木が奇跡だと言われていたのは、完全に孤立していたからだ。いちばん近いところにあった植物は、250マイル(約400km)以上離れていた。実のところ、キャラバンはテネレの木を道しるべとして頼りにしていた。サハラ砂漠を横断する古代の交易ルート沿いの重要な中継地点だったのだ。

GPSや衛星地図がまだなかった時代には、1本だけ立つテネレの木は、自然のコンパスという役割も担っていた。はるか昔からこの木は、地球上で最も危険な地形に数えられるサハラ砂漠を行き来する遊牧民トゥアレグ族や商人を導いてきたのだろう。

植物学的に言うと、テネレの木は、アカシアの亜種(学名:Vachellia tortilis raddiana)、通称「アカシア・トルティリス(英名:umbrella thorn acacia)」だった。『Journal of Vegetation Science』が指摘しているように、アカシア・トルティリスは、地球で最も過酷な砂漠という環境でも容易に適応できる。幅が広くて平らな林冠と、土中深くまで驚くほど伸びる根系(最大35m)のおかげで、水分を保持する力に秀でているのだ。

アカシアの種がどのようにして、砂漠の中の砂漠と言われるような場所にたどり着いたのかは、いまだに謎のままだ。いくつかの仮説では、サハラ砂漠がまだ緑豊かだった何千年も前に芽を出した可能性が指摘されている。それが事実なら、テネレの木は、約5000年前から1万年前にアフリカが湿潤だったころに根を張ったのかもしれない。完新世(最終氷期が終わってから現在までの最も新しい地質時代)のアフリカ湿潤期には、サハラ砂漠のその一帯には湖が存在し、河川が流れ、野生生物が数多く生息する草原があった。

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翻訳=遠藤康子/ガリレオ

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