アフリカ探検時代の生ける目印
20世紀初頭、テネレの木は、地理学の世界でよく知られた伝説的存在になっていた。フランス軍の輸送隊が1939年に作成した地図には、「L’Arbre du Ténéré(テネレの木)」と記されている。サハラ砂漠の上空数千フィートを飛行するパイロットも、小さいながら緑の林冠を茂らせたテネレの木を見落とすことはなかった。なにしろ、延々と続く広大な砂漠に唯一存在する、生命の小さなしるしだったのだ。
旅人はしばしば、ぽつんと立つテネレの木を目にするのは神秘的な瞬間だと述べた。単調な砂漠の景色を何日も眺めたあと、地平線上にぽつんと姿を現すその木は、論理や物理の法則を完全に覆す存在だったのだ。そもそも木が生きられないような場所なのに、むしろ葉を生い茂らせていたのだから。
これほど大きな生命体が、完全に孤立した状態でいかに生き延びたのか──その謎を解明する手がかりは、『Botanical Journal of the Linnean Society』に掲載された研究論文にある。最も考えられるのは、アカシアが、昼間の最も気温が高い時間帯に、気孔(葉の表面にある微細な穴)を閉じることができる木だったからだろう。おかげで、水分の蒸発を防ぐとともに、地中深くまで伸ばした複雑な主根系を維持できたわけだ。とりわけこのテネレの木は、サハラ砂漠にごくわずかしか存在していない地下水脈の一つに届くほど、根が長かったのだろう。
悲劇的な終焉
テネレの木は何百年も前から、ある種の生物学的な奇跡とみなされてきた。ところが、1973年に信じがたいような終わりを迎えることとなった。ニジェール当局ならびにフランス軍の記録によると、テネレの木は、砂漠を走行中だったトラックに衝突され、なぎ倒されてしまったのだ。このトラックの運転手は酒に酔っていたという情報もある。
こんなことはそう簡単には起こらないし、ほぼあり得ないということは、いくら強調しても足りないほどだ。テネレの木は、何百マイルにもわたって何もない広大な砂漠に存在する唯一の障害物だった。なのに、話にならないほど運転が下手だったのか、あるいは残酷な運命のいたずらか、運転手はテネレの木に正面衝突したのだという。
損傷したテネレの木の幹は最終的に、ニジェールの首都ニアメにあるニジェール国立博物館に移送され、現在も保存されている。トラックに衝突された翌年1974年には、テネレの木が立っていた場所がわかるようにと、金属製の彫刻が設置された。芸術家フィリップ・マンゲの手によるこの彫刻は言うまでもなく、木の形をしている。そして幸いにも、この「金属製の木」はいまもかの地に立っている。


