第4段階:「ママ、やめさせて!」
ついには、ChatGPTの絶え間ない追加質問にうんざりするようになった。ひとたび話が始まったら簡単には終わらないことが明らかになったからだ。私が「生のブルーベリーを冷凍庫に保存してもよいか?」と尋ねると、「はい、できます」という手厚い答えのあとに、「1週間分のスムージーのレシピも挙げましょうか?」と付け加えた。
イーベイで出品物を準備するのを手伝ってほしいと頼んだときには、手順を段階的に示したうえで、「入札が終了する前に『即決(Buy It Now)』のオファーが舞い込んだ場合に素早く対応できるよう、オファー対応のプレイブックも作成しましょうか?」と続けてきた。
私はどちらの問いにも答えてほしくなかったので、追加質問をやめるよう求めた。するとそれに同意しながら、さらに追加質問をしてきたのだ!
その後の会話でも、やめると言ったにもかかわらず、こうした質問を続けた。
ウィリアム・ピーター・ブラッティの『エクソシスト』では、リーガンが「ママ、やめさせて!」と懇願する。ChatGPTが会話を終わらせてくれないとき、同じ気持ちにならざるを得ない。
現実世界での類比
おそらくあなたも、会話を切り上げてくれない同僚や顧客との電話を経験したことがあるはずだ。こちらが終わりに向けてまとめようとしたそのとき、相手は「そうだ、もう1つだけ」と言う。短く簡単で済むはずの連絡に、ずっと多くの時間を費やすことになる。
もしかすると、会話を終わらせられないのはあなた自身かもしれない。
いずれにせよ、始まり・中間・終わりが明確な対話ができないのは、よくて煩わしく、悪くすると不公平である。
そう、不公平たり得る。なぜなら、私たちの誰一人として、仕事や私生活に無限の時間を割けるわけではないからだ。経済学に由来する「機会費用」という用語はこの点を示している。余計な通話に余分な時間を費やすことは、他の取り組みに、あるいは何もしないという選択にすら、より有益に使えたはずの時間を失うことを意味する。
今後の道筋
OpenAIはアルゴリズムを変更し、ユーザーがChatGPTに追加質問をやめるよう求めたら、その要請が守られるようにすべきである。同様のことは、思考の連続性を重んじるユーザーを妨げる、ChatGPTの終わりなきエムダッシュ(em-dash。「—」のこと)使用というもう1つの厄介な癖にも当てはまる(編注:OpenAIのサム・アルトマンCEOは、ChatGPT 5.1の「カスタム指示」で、「エムダッシュ」を使わないよう指示できると明らかにした)。
OpenAIが何を重視し、何を犠牲にしているかを知るには、同社のModel Spec(モデル仕様)を読むとよい。同社はそこで、ChatGPTが何をするかについてのトレードオフを公然と取捨選択している。これらのトレードオフは機会費用でもある。プログラムがある機能を優先すれば、他の機能を犠牲にすることになるからだ。
解決策は単純だ。不要な追加質問をオフにする選択肢をユーザーに与えればよい。OpenAIよ、私の提案を検討してもらえないだろうか。どれほど鬱陶しいか、おわかりか?


