人生観を変えたアマゾンの原体験
福代はもともと宇宙と縁遠い領域にいた。大学では「砂漠緑化をやりたい」と林業を専攻。しかし大学1年生のときに阪神大震災のボランティアで現地入りした経験も手伝って、大学で学ぶことに疑問をもつようになる。
「大学で学べたのは国が森林を適切に管理するための方法論。人の役に立つ地域開発とは少しズレている気がして」
退学しようか迷っているときに日本ブラジル交流協会でインターン募集を知り、ブラジルにわたった。アサインされたのは、アマゾンの森林資源を測量する仕事だ。船とセスナを乗り継いで道なき森林の奥地に入っていくこともあった。GPSを見ながら道なき道をひたすら進み、5km歩きながらその両脇に木が何本あるかラインサンプリングした。
「アマゾンに1年いれば人生観が変わります。生きるために、果物の採り方や車の整備法など、現地の人々からサバイバル技術の重要性を教えられた。今もどこにいても生き延びられる自信はありますよ」
このインターンが、福代が衛星を意識するきっかけになる。1990年代当時からNASAなどが開発したランドサットの衛星写真はあった。しかし、地上分解能は30m程度しかなく、木の本数はおろか地形もよく判別がつかない。
衛星データがもっと進化すればもっと効率的に資源管理ができるのに──。その思いから、帰国後ふたたび林業を学ぶ傍らで、リモートセンシングの勉強を始めたのだ。
その後、世界銀行のプロジェクトでアフリカ最貧国のひとつギニアビサウで貧困削減戦略調査、JICA(国際協力機構)で専門家として再度ブラジルで環境保全事業に従事。このときもランドサットの衛星写真を利用したが、「アーカイブから自分でダウンロードして専用のソフトで見る必要があって、へき地では使いづらかった」と問題意識がさらに高まっていった。
ブラジルでは日本国総領事館、また大使館の書記官として日本の科学技術をブラジルに売り込む仕事を担当した。売り込む技術のなかには日本の衛星もあったが、宇宙にグッと近づいたのはこのあとだ。
「それまで宇宙技術は、JAXA(宇宙航空研究開発機構)を所管する文部科学省の領域でした。しかし産業化に向けて政府として本格的に取り組むことになり、内閣府に宇宙戦略室(現宇宙開発戦略推進事務局)が新設されることに。ちょうど帰国するところだった私は、内閣府に出向して宇宙政策に携わることになりました」
福代は市場側に近い人材として選ばれた。ただ、技術にも精通しないと政策立案はできない。理解を深めるために勉強会に参加したところ、世界で初めてキューブ衛星を開発した東京大学教授の中須賀真一をはじめ、アカデミアのトップランナーたちと出会った。
「研究は先端的です。しかしビジネスとしては完全に出遅れていた。さっそく産官学連携で事業化を目指そうという話になりました。ただ、当時日本には民間のプレイヤーが数えるほどしかいなかった。仕方がないから、『役人を辞めて私がやります』と」


