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2025.11.19 18:30

似て非なる人間関係の「境界線」と「ルール」、混同の末に起こる悲劇

Shutterstock.com

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ポピュラー心理学や人間関係、自己啓発の世界で「境界線」ほど急速に受け入れられた概念はない。この言葉は近年、ほとんど聖なるもののように扱われている。

セラピスト、クリエイター、インフルエンサーといった人たちは、より健全な人間関係を提唱するためにこの言葉を使用している。それは当然のことだ。境界線は確かに人が自我を取り戻し、支配に関する時代遅れの考えを拒み、協力関係において尊敬と自律を主張するのに役立つ。

だが、多くの拡散しているアイデアがそうであるように、発する意味合いがやや歪んでしまっている。いつからか、多くの人々が境界線とルールを混同し始めた。だが、この2つは似て非なるものだ。そのため、古い力の不均衡を是正しようと急ぐあまり、不注意にも新たな力の不均衡を生み出してしまうことがある。

一見したところでは、「ルール」と「境界線」はどちらも感情あるいは対人関係における安全性を守るという目的を果たすように思える。だが実際には、この2つはほぼ正反対の原理で機能している。境界線は自己管理のためのものであり、ルールは他者を管理するためのものだ。これらの概念が混同されると、人間関係は内側からダメになってしまう。その理由を説明しよう。

人間関係における境界線とは

オンラインや対面の自己啓発の場で境界線は突然もてはやされるようになったにもかかわらず、人間関係における境界線に関する研究は驚くほど不足している。多くの研究は、境界線とは何かを定義することなく境界線について言及している。おそらくこれが、境界線がこれほど急速に広まり、悪意によるものではない誤情報の一種になりかけている理由の1つだろう。

境界線に関する研究はなくはない。専門誌『Human Relations』に2011年に掲載された看護師と患者の関係に関する研究だ。そこでは境界線とは「予測され、変わり、感じられる感情を管理する」ために「感情的な距離やつながり」を作ることだと定義されており、これは今日でも十分通用する。

この意味で、境界線とは個人的な限界のことだ。自分の心身あるいは心理的なウェルビーイングを守るために引く、目に見えない線と想像する人もいるかもしれない。境界線は人間関係において安全で尊重されていると感じるために必要なものを正確に説明する効果的な手段となる。

区別するために重要なことは、境界線は他の人があなたの周りにいるときに何をしなければならないかではなく、あなたが何を許容し、許容しないかの問題だということだ。例えば、ある人は次のような境界線を設定するかもしれない。

・「自分が怒鳴られている会話にはとどまらない」
・「あなたがこのような態度を取り続けるのであれば、少し距離を置かざるを得ない」

上記の例はいずれも設定されている行動条件は完全に自分で方向を決めているものであることに注目してほしい。自分のニーズを正確に伝えると同時に、そうしたニーズが満たされなかった場合にどうなるかを明確にしている。

次ページ > 境界線は自分のことを考えてのもので、個人的な行動を通じて効力を持つが、ルールはその逆

翻訳=溝口慈子

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