トランプとサウジにおける初期のビジネス取引
1987年
トランプは、フットボールチームや航空会社、プラザホテルの買収など、派手な買い物を続けていた1987年に、サウジの武器商人アドナン・カショギが建造を依頼した全長約91メートルの豪華ヨットに2900万ドル(約45億円)を支払った。アドナン・カショギは、ジャーナリストのジャマル・カショギのいとこでもある人物だ。
このヨットは「トランプ・プリンセス」と名付けられ、トランプのカジノ帝国を誇示する高額な広告塔のような存在になった。「彼はこのヨットについて、元妻のイヴァナが欲しがって、気に入っていたから買ったと言っていた」と、当時トランプと仕事をしていた広報コンサルタントのアラン・マーカスは振り返っている。
1990年
風刺雑誌『スパイ』が、裕福で著名な人々に金額が回を追うごとに縮んでいく小切手を送りつけ、彼らがそれをわざわざ換金するかどうかを試す実験を行った。その結果、ドナルド・トランプとアドナン・カショギの2人のみが、わずか13セントの小切手を現金化した。
トランプとサウジ政府の不動産をめぐる関係が資産売却・高層マンション取引でつながる
1991年
トランプはこの頃、カジノ事業が生んだ巨額の負債により、一連の破産に追い込まれた。彼は、所有していた資産のいくつかを手放さざるを得なくなり、その中にはヨットの「トランプ・プリンセス」号が含まれていた。このヨットは最終的に、サウジアラビアのアルワリード・ビン・タラール王子の手に渡った。
1995年
トランプはプラザホテルも手放し、サウジのアルワリード王子と、シンガポールのビリオネアであるクウェック・レン・ベンに売却した。物件の評価額は3億2500万ドル(約504億円)で、トランプが購入した価格より約8000万ドル(約124億円)も低かった。それでも彼は、この取引を「ホームランだ」と言い張った。
2001年
不動産記録の分析によれば、トランプは国連本部近くにあるトランプ・ワールドタワーの45階全体──5つのアパートの合計の面積が約929平方メートル──を、サウジアラビア政府に1200万ドル(約18億6000万円)で売却した。そして2015年の選挙集会で、トランプはこう語っていた。「私はサウジアラビアと本当に親しくしている。彼らは私からアパートを買ってくれる。そんな相手を嫌いになるはずがない。私は彼らのことが大好きだ」。
大統領選とホワイトハウスを舞台にサウジマネーが広げた影響力
2015年8月
トランプは、最初の大統領選キャンペーンを開始してから2カ月後、新たに8つの事業体を設立した。その中には、「THCジェッダ・ホテル・マネージャーLLC」や「DTジェッダ・テクニカル・サービス・マネージャーLLC」といった名称の会社が含まれていた。これら社名は、インドネシアやバンクーバーで展開していたトランプのライセンス契約や運営契約向けの事業体の命名パターンとよく似ていた。
トランプはジェッダでの開発計画を正式に発表しなかったが、こうした事業体を設立した事実は、2016年の選挙キャンペーン中に何らかのプロジェクトを進めていた可能性を示唆している。この点について問われたホワイトハウス報道官のキャロライン・レビットは、まるで大統領の倫理問題がまったく存在しないかのような口ぶりの声明で、「大統領もその家族も、これまで利益相反に関わったことはなく、今後も決して関わることはない」と述べていた。トランプ・オーガニゼーションの担当者はコメント要請に応じなかった。
2016年10月26日
11月8日の大統領選挙が迫る中、首都ワシントンでトランプ・インターナショナル・ホテルが正式オープンした。これにより、トランプは選挙に勝とうが負けようが、ペンシルベニア・アベニューに“自分の住所”を確保した。サウジ政府はすぐに彼への敬意を示し、翌年3月末までに少なくとも27万ドル(約4200万円)を同ホテルで費やした。そのうち7万8000ドル(約1200万円)はケータリングに充てられた。
2017年5月20日
トランプは、初の外遊先に歴代の大統領が最初に訪れることの多いカナダやメキシコ、英国ではなく、サウジアラビアを選んだ。「リヤドに来られて最高だ」と彼はツイートし、サルマン国王がエアフォースワン前のレッドカーペットで出迎える写真を投稿した。翌日、トランプは国王とともに“輝く球体”に手を添えた。その模様を捉えた写真は、瞬く間に世界に拡散した。


