LSS対象者の追加的なリスクは、かつて懸念されていたよりもはるかに小さかった。恐らく最も印象的な発見は、被爆生存者が概して長寿であったことだ。1945年に放射線障害を引き起こすほどの高線量を被ばくした人々の中でも、平均寿命の中央値は約78歳だった。これは21世紀初頭の多くの先進国における平均寿命と同等か、あるいはわずかに上回る水準となる。放射線被ばくにより、生存者の大半は平均で約6週間寿命が縮まった。
同様に重要なのは、起こらなかったことだ。数十年にわたる研究では、被爆者の子どもたちに先天性異常や遺伝性疾患の明らかな増加は認められなかった。かつては不確実で恐怖の源だったことが、何世代にもわたる研究で揺るぎないものとなりつつあるのだ。これは放射線が遺伝的かつ長期的な生物学的破滅をもたらすという、最も根強い誤解の1つを覆すものだ。
被爆者が残した遺産を正確に理解する
放射線の長期的な健康への影響が限定的だったと述べることは、実際に生じた苦痛を軽視するものではない。広島と長崎の原爆の生存者は、肉体の損傷、混乱の記憶、そして生涯続く悲しみを抱えることとなった。
しかし、科学的な記録は極めて重要だ。被爆者が経験したのは、生涯にわたる医学的劣化ではなかった。被爆生存者は、生活、家庭、地域、そしてアイデンティティーを再建するために共同で取り組んできた。広島と長崎が今日繁栄する都市となったのは、単に復興を果たしたからだけではなく、破壊の中を生き抜いた人々がそれぞれの都市の未来を形作り続けたからだ。
この遺産を正確に理解することは、原爆投下の歴史だけでなく、現代社会が放射線について考える上でも重要だ。放射線の恐怖は科学的証拠をはるかに超えて広がってきた。被ばくの背景や詳細は常に重要ではあるが、広島と長崎の事例は、たとえ大惨事の後であっても、放射線の長期的な身体的リスクは恐らく軽微であることを示している。
差別や偏見をなくすために
LSSに協力した被爆者に対し、世界は多大な感謝の念を抱いている。1964年のヘルシンキ宣言以前にはそのような基準が存在しなかったため、当時は正式なインフォームドコンセントは取得されなかったものの、LSSの参加者は現在まで自主的に協力し続けており、参加者の多くは人類と平和のためにデータが活用されることを望んでいる。
被爆者が生活の中で相当な社会的偏見に苦しんできたことを考えると、これはなおさら意義深い。「原爆の犠牲者」である被爆者は、人間関係、結婚、仕事、そして日常生活全般で差別を経験した。多くの人々が社会的な拒絶や孤立に直面し、その子どもたちも同様の状況に陥った。被爆したことを隠そうとした人たちもいたが、それが発覚した際には同じように差別を受けた。
この汚名を着せられた主な理由は、放射線に対する人々の誤解にあった。すなわち、被爆者は汚染され、遺伝的な損傷を宿し、それが伝染する可能性があり、子孫に身体的変形や病気を引き継がせるため、ある意味で日本社会そのものを汚染しているという間違った認識だ。
広島、長崎の被爆者の全国組織、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が2024年にノーベル平和賞を受賞したが、長年にわたるこのような不当な扱いを消し去ることはできない。こうした差別の背景にある誤解は、公式に認定された被爆生存者9万9000人以上が現在も生存し、平均年齢86歳で健康な子どもや孫を持ち、少なからずひ孫もいるという単純な事実によって払拭されなければならない。


