分析事例を見てみよう。まずは電気機器メーカーのオムロンだ。オムロンではGHG(温室効果ガス)排出量や電力消費量、廃棄物量の削減といった環境関連の施策がコスト削減と市場競争力の向上に結びつき、ROICを押し上げていることが明らかになったという。「環境関連の施策→コスト削減と収益増→ROIC上昇」というわけだ。
加えて、オムロンでは役員や管理職といった各キャリアステージにおける女性比率の高さがROS(売上高経常利益率)や投下資本回転率、資本コストの改善につながり、最終的にROICの向上に寄与しているとの分析結果も出た。従業員満足度や離職率、多様な働き方に向けた環境づくりも、財務への影響要因として浮上している。
小売業はどうか。ドラッグストアを展開するマツキヨココカラ&カンパニーの統合報告書のデータを分析したところ、組織風土スコア(従業員意識調査)の高さがROSの向上に寄与しているとの結果が出たという。社員の平均勤続年数や顧客満足度、取締役会における女性の人数も財務への影響要因に挙がった。
東京電力ホールディングスも、「人的資本ROI」(従業員への投資の効率性の指標)の高さがROICの向上に寄与するとともに、女性管理職比率や従業員幸福度、従業員の生産性・効率に対する意識などが財務への影響要因として浮上したという。
これらの分析結果からわかるのは、人的資本が財務に与える影響要因の中核を占めているという点だ。「人的資本が充実すると、環境スコアや社会貢献スコアも連動して改善する傾向がある」(平瀬)。人的資本を起点とした好循環は、業種を超えて観察されると平瀬は説明する。
他方、加藤は「最も重要なのはガバナンスだ」と指摘する。組織のあらゆる意思決定は人によってなされ、ガバナンスがその質を規定するためだ。人的資本関連の施策も、取締役会などの意思決定に基づき実行される。これらを踏まえると、ESGやサステナビリティ経営を推進する企業は、人的資本とガバナンスが根幹をなすことを理解したうえで「やるべきことの優先度」を設定するのが良いだろう。
サステナビリティ関連で取り組むべき施策やテーマは、企業が手がける事業の特性によって異なる。例えば、製造業ではGHG排出量削減への取り組みが財務に直結しやすいが、小売業では働き方改革などを通じた従業員のウェルビーイング向上が生産性を高め、財務に好影響を与えることが多い。テーマ選択を誤ると、コストばかりが膨らみ経営を逼迫させる「トレードオフ」に陥りかねない。自社の強みと社会課題の交点を見極めることが不可欠だ。
「非財務と財務の関連性を定量分析することは、それぞれの企業に適したサスナビティのテーマの可視化にも役立つ」と加藤は言う。自社が取り組むべきテーマを正しく設定し、各施策が自社の経営にもたらす効果を適切に開示する。これこそが今、求められる情報開示の理想形であり、投資家や社会からの信頼を獲得できる「いい会社」の条件だ。


