アート分野の知識があり素材以上の価値を持つ品々の売買・査定に携わる者として、希少価値の高いウイスキーを味わう際には筆者もこうした要素を強く意識する。したがって、試飲した際にはそのウイスキーの真価を理解できていなくとも、何らかの物語や系譜、信念体系の世界に足を踏み入れているという自覚はあった。
その夜その時点までの宴の席での体験が、グラスに唇を触れる前から味わうウイスキーの品質に対する筆者の認識を、純粋な感覚や味覚を超えた文化的・象徴的な域にまで広げていたのである。
あのウイスキーには約100万ドルの価値があったのか?
ザ・グレンリベット・スピラ60年とアベラワー53年には、間違いなく95万ドル相当の価値があった。こう確信を持って言えるのは、それが落札価格だからだ。唯一無二の品物の価値を、異論の余地なく決定する──これがオークションのすばらしいところである。
では、ザ・グレンリベット・スピラ60年は、街中で2万円も出せば買えるザ・グレンリベット18年よりも客観的に見て優れているだろうか? これも、あらゆる指標においてイエスである。熟成年数が長く、希少性が高く、品質の点でより複雑かつ洗練されている。
だが、約6500倍も優れているか、と問われれば、これは確実にノーだ。
とはいえ、議論の余地はそもそもない。あのウイスキーは一点物で、どれだけ購入資金と意欲があろうと、あのボトル以外には手に入れることが不可能だからだ。そしてもちろん、この事実そのものが価値の源となっている。
ウイスキーの卸売も手掛けてきた筆者は、たいそう希少なボトルを試飲する機会も多かった。これまでに仲介した取引の総額は100万ドルを優に超えている。したがって、ザ・グレンリベット・スピラ60年が人生で味わった中でも屈指の特別なウイスキーだと断言する根拠は、ボトルの中身にとどまらない。
そのウイスキーがもたらす価値と体験が、試飲の一瞬で終わるものではなかったからだ。取り巻く全てに価値があり、それが記憶を鮮明にしている。グレンリベットの樽の品質管理責任者であるケビン・バルムフォースが語った樽詰めからボトリングまでの工程や数十年間にわたる手入れ、ガラス職人と二人三脚のデカンタ制作秘話などを通じ、その体験は忘れえぬものとなった。
さて、ここで最初の問いに立ち返ろう。総額95万ドルのウイスキーはどれくらいおいしかったのか。
筆者の答えはこうだ。落札価格から想像する以上にすばらしかった。だが、それは価格の問題ではない。優れたウイスキーは、計り知れない感覚をもたらす。クラリッジズでの束の間の体験で、なぜ伝説と呼ばれるウイスキーボトルが生まれるのかを筆者は体感したのだ。


