しかし「最高」とは曖昧な言葉である。
時計を例に取ろう。価格50ポンド(約1万円)のカシオと50万ポンド(約1億円)のパテック・フィリップを比べたとき、「技術力の観点で最高」なのはカシオのほうだ。だが、カシオは「時計職人の技巧」という観点では「最高」とはいえない。パテックを買う人は、時刻精度の高さを求めているわけではないのだ。その価値は、職人技、伝統、希少性、そして心を揺さぶる共感から生まれる。
ウイスキーも同じである。1本のボトルを65万ポンド(1億3000万円)で落札する人は、ボトルの内容量の代価を支払っているわけではない。そのウイスキーを取り巻く何もかもに対してお金を出しているのだ。その物語、系譜、デカンタの芸術性、樽の希少性、そして時間だけが創り出せる文化的意義──これらすべてが価値の一部なのである。
これは、コミックや美術品、自動車からワインまで、物語と希少性が交差するあらゆる領域で見られる現象だ。
アートとコミック
価値の複雑さを知ることのできる別の好例が、コミックやアート作品である。2024年、アメコミヒーローの「スーパーマン」が初登場した米漫画雑誌『アクション・コミックス』創刊号が競売に掛けられ、600万ドル(当時のレートで約9億円)で落札された。ところで筆者は、eBayにて34ドル(約5200円)で入手した復刻版を持っている。同じような紙に印刷され、寸分たがわず同じ物語が掲載されている。しかし、一方は600万ドル、もう一方は34ドルだ。なぜか? ──それは来歴やノスタルジー、なぜそこに価値を見いだすのかという人々に共有された物語が、オリジナルに宿る価値の一部を形づくるからだ。
同じ理由で、素人目には似たり寄ったりの絵に見える抽象画家マーク・ロスコの「カラーフィールド」作品が大きく異なる価格で取り引きされることがある。2012年、米ニューヨークのクリスティーズでロスコの「オレンジ、レッド、イエロー」(1961年)が8680万ドルで落札され、当時の戦後美術作品の最高額記録を更新した。その2カ月後、同年に描かれた別のロスコ作品「No. 1(ロイヤルレッド・アンド・ブルー)」がロンドンのクリスティーズで260万ドル相当で落札された。後者はたしかにサイズが小さかったが、ほんの2カ月前に売れた理論上は類似した作品のわずか2%の価値しか認められなかったのである。
この2つの作品の間で異なるのは、使用された絵具やキャンバスではなく、文脈だ。作品の由緒(ロスコ作品としての芸術的価値、批評、作品に関係した機関や収集家、作品にまつわる物語など)に加え、オークションの勢いや参加した収集家たちの熱の高まりが相まって、その瞬間に一方を他方よりも価値があると認定する無形のオーラを生み出したのだ。


