米国・奴隷解放運動の指導者、フレデリック・ダグラスは奴隷として生を受けた。教育を受けることを禁じられていたが、独学で密かに読み書きを習得。さらに日曜学校を開いて、他の奴隷たちに読み書きの基礎を教えた。
フレデリック・マッキンリー・ジョーンズは、生鮮食料品の長距離輸送を可能にする移動式冷凍装置を発明した。小学6年を終えたばかりの11歳で学校を中退し、自動車整備工場で清掃員として働くなかで整備の仕事に魅了され、わずか3年で工場長にまで昇進した。
数々の新薬を開発した創薬のパイオニア、ガートルード・エリオンは学生時代から優秀な成績を残し、15歳で高校を卒業。その後、ニューヨーク市立大学ハンター校(Hunter College)に授業料全額免除の特待生として入学した。
人工透析装置を発明したウィレム・コルフは失読症を患っていたが、当時はその症状が認識されていなかったため、読み書きの不出来を理由に学校で罰を受けていた。しかし医学部を卒業後、世界初の透析装置を開発するという偉業を成し遂げる。
「コンピューターサイエンスの父」として知られるアラン・チューリングも、早くから高い知性を示していた。数学への並々ならぬ情熱を見せ、ケンブリッジ大学を3年で卒業。22歳でキングス・カレッジ・ロンドンのフェローに選ばれ、プリンストン大学ではわずか2年で博士号を取得した。
世界発のインプラント型ペースメーカーを発明したウィルソン・グレートバッチは、大工の息子だったが幼少期から電子機器に強い関心を持ち、10代ですでにラジオを組み立てて遊んでいた。
血管形成術(カテーテル手術の一種)を編み出したチャールズ・ドッターは、明るく好奇心旺盛な子どもだった。機械や装置に興味を持ち、分解して再び組み立てるという作業に夢中になっていた。
MRI装置を発明したポール・ラウターバーは子どもの頃から科学が大好きで、10代になると自宅の地下室に自分用の実験室を作った。
マラリアの治療薬を発見した屠呦呦(トゥ・ヨウヨウ)は15歳で結核を患い、文化大革命のさなかで研究を行うなど数々の困難に直面した。夫は一時期、政府の再教育キャンプに送られている。1969年、研究チームの責任者に任命され、マラリアの調査のため、1歳と4歳の娘を残して海南島へに派遣された。彼女は当時を振り返り、「仕事が最優先でした。ですから私は喜んで私生活を犠牲にしたのです」と語っている。


