映画

2025.11.13 15:15

自分らしく生きることを教えてくれる映画『旅と日々』

(c)2025『旅と日々』製作委員会

(c)2025『旅と日々』製作委員会

三宅唱監督が旅先での出会いを描いた最新作「旅と日々」が11月7日から東京・TOHOシネマズ シャンテ、テアトル新宿など全国でロードショー公開されている。原作は、つげ義春の漫画「海辺の叙景」「ほんやら洞のべんさん」。つげ作品は、非日常的で展開がなかなか読めないのが特徴だが、「旅と日々」は、第78回ロカルノ国際映画祭で最高賞の金豹賞などに輝いたほか、9月の釜山国際映画祭でも高い評価を得た。三宅監督は「人には、住んでいる場所を離れたいという共通の欲望があるのではないか」と語る。

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映画は前半が「海辺の叙景」を題材に、旅に出た渚(河合優実)が海辺で偶然出会った夏男(高田万作)と、とりとめのない会話を続けていく。この出会いの脚本を書いたのが李(シム・ウンギョン)。「ほんやら洞のべんさん」を題材にした映画の後半では、李が雪深い場所に旅に出て、べん造(堤真一)が一人で切り盛りするうらぶれた宿に宿泊し、やはりとりとめもない会話を続けていく。

作品では、「非日常」を感じさせるシーンがいくつも出てくる。べん造は、李との突然の出会いに戸惑いながら、おぼつかない手つきで料理を作る。三宅監督は「いつもは自分の食事を作るだけ。久しぶりの客に気合が入りつつも、慣れない様子を表現してくれた」と語る。

堤真一さん(左)と三宅唱監督(右)
堤真一さん(左)と三宅唱監督(右)

三宅監督は、つげ義春がかつて「温泉で出会った地元の年配女性たちが使う方言」について語っていた内容が強く印象に残っていたという。べん造を演じた堤に、できるだけ庄内地方の方言を徹底することにトライしたいと伝えた。

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堤は、テープを擦り切れるほど聴いて方言を学び、最後にはセリフも撮影前に頭に入ってしまうほどだったという。べん造は映画の中で「絶対に地元の人でなければ分からない方言」(三宅監督)も一言使っている。「頭が混乱しているところだ」という意味の方言だという。「旅で知ることはほんの一部分」という思いが背景にある。その一方、「意外といろいろなことがわかるのも旅」(三宅監督)だという。べん造も李も、お互いに名前すら名乗らないが、相手の境遇は何となくわかってくる。

映画には華やかな都会のシーンも、便利なツールも出てこない。李は脚本を書くのは、パソコンではなく鉛筆とノートを使う。でも、堤は「(原作の『ほんやら洞のべんさん』が発表された1968年という)時代設定を意識したわけではない」と言う。「現代でも、べん造みたいな人物がいてもいい」とも語る。

堤は「映画を観た人が、べん造みたいな生き方でもいいんだと思ってくれたらうれしい」と話す。べん造も李もそれぞれ野心や欲望があるが、うまくいかない。それでも、堤は、べん造を演じながら「人の評価云々ではなく、自分の好きなことをやればいいのではないか」と思ったという。「今の世の中は、他人の評価や様々な制約がある。世の中に合わせて生きなければいけないという意識が、社会主義でもない日本にもある。そんななかで、自分らしく、自分の好きなように生きたらいい。映画を観た人がほっとしてくれたらなとも思う」

三宅監督は「つげ作品が翻訳されていない国の人々がもし、つげさんの漫画に出会ったら、自分の話だと共感する人もいるだろうし、逆に、自分と全く違う人生を目の当たりにして、興奮することもある」と話す。
 
映画は夏と冬の場面を描いたが、音楽が挿入されている場面はごくわずかだ。夏のシーンでは、台風で叩きつけるように降る雨やうねる波の音がはっきり伝わる。冬のシーンでは、数少ない生活音が降りしきる雪に吸収されていくような場面が続く。三宅監督は「そんな環境だからこそ、李は、べん造の話を聴く気にもなるし、話が耳に入ってくる」と語る。こうした一つ一つの「非日常」は、大きな画面でこそ、より感じられるものだという。三宅監督は「ぜひ、映画館で夏の空気や冬のひっそりとした出会いを体感してほしい」と語った。

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文=牧野愛博

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