要するに、女性は成熟するにつれて、植え付けられた羞恥心を捨てることが容易になることが多い。自分の言葉で快楽を再定義し、より本物で充実していると感じられる親密な関係を持てるようになる。
そして、おそらくジェンダーに関する固定観念が薄れている時代に育った若い男性は、この地に足のついた自信に大きな魅力を感じるかもしれない。そうした男性が惹かれるのは、「クーガー(年下の男性と交際する女性を指す俗語)」という型にはまった侮蔑的なレッテルではなく、自信に満ち、感情表現が上手で、堂々とした女性像なのかもしれない。
5. 珍しいものから「よくあること」に
大衆メディアはいま、逆年の差カップルの関係を珍しいものとしてではなく、社会の正常な一部で、現代の恋愛事情によく見られる出来事として描くようになっている。俳優プリヤンカー・チョープラーと歌手ニック・ジョナス、俳優ヒュー・ジャックマンと俳優デボラ=リー・ファーネスのようなカップルの知名度は逆年の差カップルを普通のことにする上で強力な役割を果たした。
興味深いことに、文化は鏡であると同時に媒介するものにもなる。こうした受け止めの変化を反映するだけでなく、変化をかたち作る。この力が最も強くなるのは、他社の意見や行動に心理的影響を受ける社会的証明が働いているときだ。特にあいまいな状況において、何が許容され、適切であるかを判断するために人々が他者を参考にするときだ。私たちは文化的な手がかりを観察することで、恋愛関係にまつわる信念や行動を調整する傾向がある。
自信に満ち溢れ、大成功を収めた女性が年下の男性と交際していることが、汚名を着せられたりからかわれたりすることなく報じられるのを繰り返し目にすると、見慣れないものが身近なものに感じられるようになる。「これが許されるのか」 「批判されるのではないか」といった疑問のような内的不協和が和らぎ始める。かつては違反のように感じていたことが、意識的で賢明な選択のようにさえ感じられるようになる。女性たちは認められ、注意が向けられ、耳を傾けられていると感じ始める。
このようなカップルが目につくようになればなるほど、そうした関係が「ルール違反」でなくなり、社会の物差しではなく自分の価値観に沿った愛を選択しようという気持ちが生まれる。
おそらく、この逆年の差カップルの変化は、女性が年上の男性を拒絶しているのではなく、女性と男性が共に時代遅れのヒエラルキーを完全に拒絶しているのだと理解するのが最適解だろう。逆年の差カップルは「逆転」ではまったくなく、カップル双方の進化に伴うバランスの回復なのだ。


