つまり、私たちは子どもが自分のために掃除をしたり、夕食を作ってくれたり、ゴミを出す必要があることに気づいてくれたりすることを期待しない。子どもは子どもであり、依存するのが当たり前だからだ。だが健常な大人同士の間でこのような力学が働くと、一方が相手を見る目は明らかに変わってしまう。やがて相手を対等な存在として見なくなり、代わりに常に見守りや促しが必要な存在として見るようになる。
研究者らが説明しているように、このような面倒を見ているという感覚の認識が、不平等な家事分担と性欲の低下をつなげる。つまり、夫と一緒に暮らしているというより、夫の世話をしていると妻が感じれば感じるほど、夫に性的魅力を感じることが難しくなる。
このような認識の変化は、進化論的な観点から見ると、結婚生活に悪影響を及ぼしがちだ。『Current Opinion in Psychology』の前述の研究が指摘しているように、女性は歴史的に、リソースを提供し、良い遺伝子を持ち、頼れる扶養者となる男性に惹かれてきた。
しかし夫が家事を一貫して妻に任せきりにしていると、夫はこれら3つの特徴とは正反対のシグナルを発し始める。つまり、リソースがあるというより頼りなく、有能であるというよりは未熟で、扶養者というより利己的な人だと思われ始める。
一気に夫はパートナーのように思われなくなり、世話をする必要のある子どものように感じられ始める。ほとんどの人にとって、そうした変化は全く色気のないものだろう。
不平等の結末
このような不均衡を客観的に見ると、子どものような夫が離婚届を突きつけられてショックを受ける姿に私たちはあきれてしまいがちだ。結局のところ、ほぼ家事をしてないのに離婚で「不意打ちを食らった」と言うのは、ほとんど恐れを知らないことのように思える。
だが気の毒なことに、多くの人にとってその驚きは現実のものとなっている。というのも、明らかに不平等な結婚生活を送っている人でも、結婚しているほとんどの人は純粋に自分の役割をきちんとこなしていると信じているからだ。社会心理学者のマイケル・ロスとフィオレ・シコリーは専門誌『Journal of Personality and Social Psychology(ジャーナル・オブ・パーソナリティ・アンド・ソーシャル・サイコロジー)』に1979年に掲載され、高く評価された研究で、夫も妻も分担している家事への自分の貢献度をかなり過大に評価していると指摘した。
具体的には、ロスとシコリーが夫婦に家事分担の割合を尋ねたところ、夫婦の回答の足した数字はほとんどの場合100%をはるかに超えていた。
これを踏まえて、夫が家事の約30%を担っている結婚生活を想像してみよう。バーベキューの時には料理をし、ゴミを出し、週に1、2回は子どもの送り迎えをする。一方、妻は残りの70%を担う。洗濯、食事の計画、料理、掃除、スケジュール管理、そして育児の大部分だ。
夫や妻らにそれぞれが担っている家事の割合を尋ねると、夫は自信たっぷりに50%程度、妻は90%近くと答えるかもしれない。単純に2人の数字を合わせると140%になる。どちらも実際より多く貢献しているように感じるが、どちらか一方だけが比較的平等に分担していると考えている。どちらの場合も、双方とも間違っている。


