新しいヘッドコーチが就任したばかりのある春の平日の朝。筆者は8時からのミーティングに向けて、25分前にオフィスに到着した。どういうことかオフィスはもぬけの殻である。幸いにも出勤してきた同僚がいたので「どうなってるんだ?」と聞いてみた。すると─。
「バイブル・スタディーだよ」(ある部屋を指差しながら)
「なんじゃそりゃ?」
「この前のミーティングで言ってたよ。聞いてなかったのか?」
なんと毎週水曜日の朝7時半から、チーム専属の牧師が来て、聖書を読む、そして勉強する会がチームの予定に追加されたというのだ。
新コーチは敬虔なクリスチャン
新しいヘッドコーチが敬虔なクリスチャンであることは知っていたが、そこまでするのか?と感じた。もちろん参加は自由だし、強制の雰囲気もゼロだが、おそらく8割ぐらいのスタッフが参加している。しかも毎週だ。
これまでの筆者の連載では主に、「アメリカと日本の違い」をベースに様々なことを論じてきたわけだが、その多くの「違い」の源には宗教があると感じることがある。上の「バイブル・スタディー」も、この国のベースにあるのがキリスト教信仰である事が身に染みて理解できた体験だった。
ご存知の通り、アメリカは多民族国家だ。信じられないほど多くの国籍、出身地、人種が混ざりに混ざった、我々日本人にとってはまさにカオスな国である。多くの民族、イコール多くの宗教があることは事実だが、あるリサーチによれば、ここアメリカでは成人の約65%がキリスト教徒、いわゆるクリスチャンだ。
以下に、筆者がスタンフォード大学アメリカンフットボール部コーチとして実際に経験した、日本では見られないことをシェアしよう。
・遠征の際など食事の前には必ずチーム全体でお祈り
・チームには必ず専属の牧師がついている。遠征にも同行
・ゲームの前後には必ずお祈り
・遠征時のホテルには牧師が教えを解く部屋、時間がある
・日曜日の午前中には多くの人が教会へ(同僚によれば、約80%だそうだ)
「若者の将来」についての米国思想
生活習慣、環境など、そもそもの様々な違いがあることは理解の上で、ここ米国では子どもの将来を思いやる力が強いと感じる。もしかすると、キリスト教の隣人愛─他人を思いやること、の教えが無意識のうちに生きているのかもしれないとも思う。



