歴史的なアメリカン・バンタムのジープ工場だった建物が、壊滅的な火災に見舞われてからわずか数日、この建物が解体されることが発表された。有名な「ジープ」誕生の地と見なされてきた場所は、これで終焉を迎えることになる。
消防士たちは懸命に火災を鎮めようと奮闘したが、残存する建築物が不安定な状態にあったため、小さな炎を消すことができず、放置せざるを得なかった。
火災の原因は現在も調査中だ。
この建物が失われることに、地元ペンシルベニア州バトラーの地域社会はすでに哀惜している。同地は米国が第二次世界大戦に参戦する直前の1940年頃、後に「ジープ」と呼ばれる軍用小型四輪駆動車の最初期の車両がアメリカン・バンタム社の組立ラインで生産されていた場所だった。
「バンタムの建屋は単なるブロックとモルタルの固まりではない。永続的な米国の歴史の一端をかたち作ることに貢献した、決意と創造性そして団結力の象徴だ」とバンタム・ジープ愛好協会のトッド・ワグナー会長はCBSニュースに語った。
同協会は「バンタム・ジープ・フェスティバル」を毎年6月の第2週末にバトラーで開催している。アメリカン・バンタムの建屋が消失しても、このイベントは今後も継続開催していくつもりだという。
「私たちの地域社会や世界中のジープ愛好家にとって辛いことだが、バンタムの遺産はこれからもそれを称賛し、敬意を払う人々を通じて、常に生き続けるだろう」と、ワグナー会長は続けた。
建物は消失しても、遺産は生き続ける
バンタム工場の大部分は、すでに数年前に解体されていた。しかし、使われなくなった管理棟はそのまま残され、ジープ誕生の地を称える事実上の記念碑であると同時に、20世紀後半の米国製造業衰退の悲哀を思い起こさせるものとしてこの地にあった。
その上、この建物は、先週末までは、ジープの初期の歴史と開発に貢献した数少ない現存する建物の1つだった。
オハイオ州トレドにあったウィリス・オーバーランド社のジープ工場は、すでに大部分がずっと前になくなり、(ジープ・ブランドを擁するステランティス・グループの)現代的なトレド組立工場に変わった。ジープ博物館の敷地さえも取り壊されたが、工場の「オーバーランド煙突」が今も1本だけ遺されている。この煙突は、工場の歴史とかつての労働者を称える記念碑として、保存・奉献されたのだ。



