テクノロジー

2025.11.07 14:15

2つの百科事典、イーロン・マスクGrokipediaとWikipediaの「反目と共依存」

Getty Images

記事の後半では、Wikipediaに対する「根強い批判」を数文にわたって列挙している。そこでは「体系的なイデオロギー的偏向」や政治報道における「左寄りの傾向」を指摘し、右派寄りの人物がより否定的に扱われるという計算分析の結果を引用。さらに、共同創設者ラリー・サンガーの「Wikipediaはイデオロギー主導の編集者に乗っ取られた」という発言まで取り上げている。

advertisement

その意図は明白だ━━Grokipediaは、Wikipediaがリベラル派のエコーチェンバー(似た意見や思想を持った人々の集まる空間)と化していると示唆しているのだ。

依存し合うライバル

両者の記事を並べて読むと、まるでライバル報道機関による応酬のようだ。WikipediaはGrokipediaを「マスクの自己顕示欲から生まれた、借り物のコンテンツと政治的偏向でできた未完成プロジェクト」として描き、一方のGrokipediaはWikipediaを「偏ったボランティアに運営される、時代遅れで政治色の強い化石」と描いている。

どちらも相手を「偏っている」と非難しながら、その語り口にはどこか防衛的な響きがある。

advertisement

皮肉なことに、どちらも相手なしでは存在できない。Grokipediaは、初期記事においてWikipediaのデータベースに大きく依存していた一方、WikipediaはGrokipediaが登場するやいなや、その論争や批判点を記事として書き込んだ。片方は相手を「プロパガンダ」と呼び、もう片方は相手を「模倣品」と呼ぶ。どちらの主張にも一定の正しさがあり、そして両者ともこの騒動を楽しんでいるように見える。

結局のところ、2つの百科事典は単に事実を記録しているわけではなく、互いの確執をも記録しているのだ。Wikipediaは「人間の知恵と合意」に基づく知識づくりを重んじ、Grokipediaは「AIによる純粋で偏りのない情報生成」を掲げている。その狭間にあるのは、現代のインターネットが最も熱中する遊び―「どちらがより客観的か」を巡る果てしない論争である。




※本稿は英国のテクノロジー特化メディア「Wonderfulengineering.com」10月30日の記事からの翻訳転載である

advertisement

ForbesBrandVoice

人気記事