スペイン人の征服者たちは、南米アンデス高地でジャガイモ(学名:Solanum tuberosum)に初めて出会ったとき、この作物が世界史をどれだけ根本的に変えるかを想像もしなかった。ジャガイモがインカ帝国の繁栄を支えたのは、ほかの作物がほとんど育たない高地や貧弱な土壌でも栽培できるためだ。やがてジャガイモは、いくつもの大陸の基幹作物となった。
ジャガイモは驚異の植物だ。カロリーが豊富な上に栽培が容易で、ずば抜けて順応性が高い。だが、ヨーロッパに持ち込まれてから3世紀後、このスーパーフードは近代史上最も悲惨な飢饉を引き起こした。およそ1845年~1852年の期間に、想像を絶する規模の大惨事がアイルランドを襲ったのだ。アイルランドでは「大飢饉」を意味する「An Gorta Mór(アン・ゴルタ・モー)」と呼ばれるこの「ジャガイモ飢饉」では、推定約100万人が死亡し、それよりはるかに多くの人々が国を去った。
飢饉の直接の原因は、たった1種の微生物だったと考えられている。顕微鏡でしか見えない、植物を侵す病原体が、単一作物に依存していた地域を蹂躙したのだ。
希望の作物
『サイエンス』誌に掲載された古典的研究によれば、ジャガイモは約8000年前、アンデス山脈の、現在のペルー南部からボリビア北西部にあたる地域で栽培化された。先住民の農民たちは、冷涼な山の斜面から温暖な谷間まで、それぞれ特定の微気候に適応した数千品種を栽培していた。インカ帝国では、ジャガイモをチューニョと呼ばれる保存食(一種のフリーズドライ食品)に加工し、軍の野戦食や不作の年の備えとした。ジャガイモは彼らの文化の要だった。
2019年に『ネイチャー・エコロジー・アンド・エボリューション』誌に掲載された論文によれば、スペイン人入植者が16世紀にジャガイモをヨーロッパに持ち帰った後も、受け入れられるには時間がかかった。ヨーロッパ人は当初、見慣れない外見や、有毒のベラドンナと近縁であることから、警戒心を抱いたのだ。しかし、やがて実用性が偏見に打ち勝った。ヨーロッパでの栽培は17世紀に始まり、18世紀に本格化した。19世紀に入る頃には、ジャガイモはヨーロッパの主食作物の一つとなっていた。



