ジャガイモは、貧弱な土壌や冷涼な気候でもよく育ち、穀物と比べると必要な農作業が少なかった。さらに、当時のヨーロッパ人が知る作物のなかでは、単位面積あたりで得られるカロリーが最も多かった。こうした要因から、とりわけアイルランド人にとってジャガイモは、生存手段そのものを意味するようになった。
アイルランドとの関係
アイルランドの穏やかで湿潤な気候は、ジャガイモ栽培に最適だった。というより、ヨーロッパとアジアの大部分は、ジャガイモ栽培に適していた。先述の論文によれば、世界のジャガイモの82%はユーラシアで生産されている。
1800年代初期までに、アイルランド人口の約半分が、ほぼ全面的にジャガイモに依存するようになっていた。彼らのほとんどは、農村部に暮らす貧困層だった。多くの家族は、数エーカーの農地で育てたジャガイモで命をつないでおり、ほかの作物をほとんど栽培していなかった。
こうした依存状態は、栄養学的に言えば、必ずしも非合理的とはいえない。ジャガイモには驚くほど栄養が凝縮されている。エネルギー源としての炭水化物だけでなく、ビタミンCやカリウムも豊富だ。十分な量を食べ、さらに牛乳と合わせれば、ヒトの健康を維持するのに十分なタンパク質も得られる。
ジャガイモは数十年にわたり、アイルランドの人口増加を支える唯一無二の完璧な作物であり続けた。だがそれは、大きな危険と隣合わせだった。社会全体が、一つの作物の、たった一つの遺伝的系統に依存していたためだ。
病原体の襲来
1845年、新たな植物病原体が、なんらかの経路でアイルランドに上陸した。それまで健康に見えていたジャガイモの葉に、急に暗色の斑点が出現し、やがて葉は黒ずんで枯れた。土を掘って収穫した農民たちは、芋がすべて軟化し、茶色くなり、異臭を放っていることに気づいた。悲惨なことに、わずか数週間のうちに、一面のジャガイモ畑が壊滅した。
2013年に学術誌『eLife』に掲載された論文によれば、犯人はジャガイモ疫病菌(Phytophthora infestans)だった。俗にミズカビとも呼ばれる卵菌(oomycetes)の一種で、厳密にはカビ(真菌)ではないが、カビに似た微生物だ。


